大柿花山からの深沢城探訪。
布袋岡城跡の特徴
布袋岡城跡の頂上には本丸の平地が広がる景観があります。
高台には物見台の跡があり、歴史を感じられるスポットです。
栃木県栃木市に位置し、城跡の遺構が見どころとなっています。
植物園の大柿花山からアクセスしました。大柿花山で入園料500円を払って入園。そこの方のお話によると、山麓に外堀などがあったが、殆どは埋められてしまったようです。この城のメインは反対側尾根になるんですが、最終的に西・北側の敵(宇都宮氏)と戦ったことを考えると、この西側にも堀を設けたものと思われます。植物園から登山道が巡らされており、登山ルートは複数あるようです。季節柄(夏)、植物園内の道は左右からの草で埋もれがちでしたが、なんとか登ります。山頂部は古墳のような土壇になっており、見晴らしは良いですが、郭としては手狭です。全体の遺構を見ると分かりますが、この山頂部は「物見場」であり、メインの居住区は、植物園と反対側の東側尾根にあります。とはいえ、峰を挟んで東側尾根は植物園の範囲外になります。尾根には低い柵(簡単に跨げるレベルです)がなされていますので、そこから先の進入は自己責任でお願いします。東尾根は確かな道はありませんが、下草は無く山は綺麗ですし、階段状の段郭がどんどん続くので、見ものです。尾根に沿った竪堀を見つつ下ると、大きな台形の郭が現れます。北側に土塁を伴うこの郭が主郭だと思われます。自分はこの後に訪問する別山城用の体力温存のためにここで引き返しましたが、この先、更に主要郭が続くようで、最終的に東麓の民家の裏手に続くようです。ご迷惑にならないようにしたいです。物見場尾根に戻り、南側尾根を辿ると、尾根を断つ堀切がいくつも見られます。自分は鞍部で切り上げて植物園側に降りました。植物園に駐車場あります。
栃木駅か新栃木駅からふれあいバス(真名子線)に乗り、『深沢北』で下車する。城跡の主要部は『本丸』と言われているところから東側の尾根に広がっているが、公に整備•公開されていないので、西側の植物園『大柿花山』さんで500円の入山料を払って登城するのが賢明だ。『大柿花山』さん迄はバス停から徒歩20〜30分程度。城跡へは『大柿花山』のパンフの地図と表示に従えば行ける。駐車場と受付の間の窪地はパンフに内堀と表示されている。3月末現在では水芭蕉が咲いていた。城跡は大柿花山さんの裏山のツインピークの北側ピーク(南側鞍部含む)から北方向と東側尾根(大柿花山さんは山の西側に展開)を主要な城域としている。南側ピークの展望台を下ると鞍部に浅い堀切がある。ここから段々に小規模な削平地が上方に連なり、最高部に直径15〜20程度の最高地点の曲輪がある。『詰の曲輪』、或いは物見台だろうか?北方向の尾根を行けば、石の祠のある小規模な曲輪、その更に北方向眼下に『本丸』がある。一定程度の広さは確保されている。城の縄張は、最高地点の曲輪を中心に考えると理解しやすい。北方向には『石祠の曲輪』、『本丸』、東方向の尾根に主要な曲輪群。南方向は尾根上の腰曲輪群と堀切。概ねこのような展開で設計されていたのではないか?『最高地点の曲輪』を中心点として、主要な館は東尾根の中腹に集中し、北は『本丸』を主要な守りとする。南は尾根の堀切で区切って守る。西には城山の麓に『内堀』を展開する、こんな設計を想像してみたい。東尾根上には上から眺めてもいくつかの曲輪を確認できる。なかなか面白い城跡だ。
大柿花山から入ったが、ちとわかりにくかった。
遺構としては、頂上にある平地と高台が、それぞれ本丸と物見台の跡だろうとの事です。今でも「焼けた米が出土する」と言われるほどの激戦地でした。皆川氏vs宇都宮氏の合戦の主な舞台がこの城です。築城年代は不明。一説には、天慶年間(938年頃)藤原秀郷が築いた館が起源だそうです。中世に一度廃城となったものを、永正年間(1504〜21年)に皆川成勝が再興、城代を置きました。しかし天正十六年(1588年)、宇都宮氏の攻撃を受け、激闘の末落城。川が血で赤く染まり、「赤血川」(現在の赤津川)と呼ばれるようになったそうです。
| 名前 |
布袋岡城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
深沢城などとも。皆川氏の重臣・柏倉氏の城です。柏倉氏は源義家の末裔を称していたとか。(栃木の城 下野新聞社より)1588年に宇都宮国綱が佐竹氏と仲良く諏訪山城(鹿沼市)と真名子城(栃木市)をぶっ飛ばし遂に布袋岡城に来襲。皆川広照以下城主柏倉兵部左衛門や日向野民部ら奮戦するも兵部左衛門らが討死するなど大苦戦。あっあかんやつやと思われましたが仲間の北条が宇都宮城行くよーん的な動きを見せたので国綱は撤退。広照くんは命拾い。あぶねー布袋岡城の特徴はなんと言っても宇都宮方向の東側。無数の郭を設けその側面にはデカい竪堀をズドーン。皆川氏の城の中でもトップクラスに大規模。