長い階段を登る先にある、静寂な時間。
万年神社の特徴
階段を登るとたどり着く万年神社の独特な立地です。
鈴の紐が切れている光景に寂しさを感じる神社です。
階段が長いため、訪れる際は足元に注意が必要です。
階段をかなり登らないと辿り着けません。産土様である高良神社と縁が有るというだけで、嬉しくなりました。以下引用させて頂きました。万年(はね)神社玖珠郡玖珠町塚脇この神社は、JR久大本線・豊後森駅の南西1km程の辺り、塚脇小学校のすぐ北側に鎮座しております。御祭神大山津見神高良玉垂命八幡大神住吉大神武内宿禰命天之御中主神菅原道真命寺山のおこり寺山の地名は、昔ここに天台宗のお寺があって名付けられました。寺の名前は残っていません。春国寺の古い記録には平安時代に作られたお寺で、最初の和尚さんの名前は豪英です。玖珠を治めていた矢野山城守も信仰し、清原正高公が玖珠郡を治めるようになると、一族の人達も信仰したと書かれています。万年神社は大治6年(1131)正月、豪清という和尚さんが久留米市高良神社の神様を夢に見て、祠を建てたのが始まりです。昔は万年神社と春国寺の神様と仏様とが協力しあって、塚脇地区を守っていました。これを神仏混交時代と言います。天正14年(1586)11月豊前、豊後(今の大分県)を治めていた大友氏と、薩摩(鹿児島県)の島津氏とが戦争をしました。島津氏は玖珠郡にも攻めてきて寺に火をつけこのため仏像や万年神社までも焼けてしまいしばらくは寺も神社も建てられなかったとあります。性伝と言う和尚さんの時代でした。寛永3年(1626)森忠左衛門さんと太田右衛門さんが、人々の協力を得て、寛永4年(1627)4月に万年神社の社殿を作り、松寿山春国寺も禅宗の寺として、京都花園のご本山妙心寺の許可を得て建築しました。最初の和尚さんを雷州恵眼と言います。現在の建物は、日隈与作さんや檀家の人々の協力で昭和49年(1974)に完成しました。神社は明治4年(1871)、神様と仏様を分ける法律ができ、春国寺から独立、万年神社となりました。明治37年(1904)東参道の鳥居が完成、大正8年(1919)北参道の大階段完成、昭和6年(1931)には大鳥居が完成し、お仮屋を移転しました。今この神社を信仰する家庭は276軒です。境内由緒書き より。
鈴の紐も切れていて管理が行き届いておらず、寂れている感じでした。
| 名前 |
万年神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
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万年をはねと読みます 階段が長いから足元気をつけて。豪清や高祖神社関連が書いてました。