六地蔵の脇、伝説の石碑。
柳明観音堂の特徴
六地蔵の脇に立つ石碑は、歴史的な趣を感じさせる存在です。
柳明には、もと観音堂の名残が見られる貴重な場所です。
大石寺との関連が深く、伝説を感じる寺院です。
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定本柳田国男集第三巻p6「水曜手帖」柳明「柳明にはもと観音堂があって、大石寺といふ大きな寺があったと伝へられ、現在はそこが鎮守の御社になって居る」
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| 名前 |
柳明観音堂 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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階段を上ると、六地蔵の脇にある石碑がある。正面に當寺本十一面観世音 行基御作とあるが、本当にあの大仏製作に関わった奈良時代の渡来人の行基なのか?右面には宝暦十庚辰霜月吉日(1760年)観音寺 龍淵開眼金載百疋村中 金百疋石井利左門疋はお金の単位で、今の100円相当との記事もある。左面には鎌倉四番札所 上飯田村鎮守 大石権現台座には大石寺とある。六地蔵は剥落がかなり進んでいて微かに残る文字もこの程度だ。階段反対側の石碑の表面は、??興山王大権現左面には世話人 當村石井興?衛門(?は上の横棒のない五)右面には?政十一己未年八月吉干支から寛政11(1799年)とわかる。その左にはさらに4体あるが、よくわからない。ただ、隠れるように置かれた庚申供養塔の青面金剛が非常に可愛らしく見える。元号は剥落しているが、十、己、亥、歳はあるようだ。天保10年(1839年)と思われる。