恋一路、千年のご利益。
小一領神社 生目神社の特徴
浜町バス停近く、恋愛運が上がる神社で知られています。
創建は寛仁二年、歴史ある小一領神社の由来があります。
おみくじの種類が豊富で、敷地内は落ち着ける場所です。
山都町の街の中にあり…雰囲気もとても良いです…通潤橋に関わられた布田保之助公を祀った通潤橋近くの布田神社の御朱印も頂けます。
1000年以上歴史がある神社⛩️です。潤通橋の所の町の地図を見て来ました。入り口付近の龍🐉の作り物にビックリ‼️しましたが八朔祭りで神輿?に担ぐシンボル?らしいです。恋❤️の神社としても有名らしいです。入り口が狭いので一度通り過ぎましたが中は広いです。
参拝させて頂きました。小一領神社(こいちりょうじんじゃ)という読み方がいつしか「恋一路(こいいちろ)」と親しまれるようになり恋の成就神社としても有名な神社です。カップルや夫婦または、これから!と言う方にもオススメでございます。境内には数々のハートがあるそうなのですが、如何せん中年おっさんが1人で参拝しており、尚且つハートを探し回ってる姿は想像するだけで、シュール過ぎたので辞めときました。御朱印(神社御朱印初穂料300円御神木御朱印200円)は拝殿内に書き置きが用意されておりました。境内には稲荷様もいらっしゃいまして日々の感謝をお伝えし神社を後にしました。ありがとうございました🙏🏻
2024年 9月参拝通潤橋の近くに 鎮座する縁結び、恋愛運UPの パワースポットこいちりょう神社さまへ 来てみした❗小一領=恋一路と、言われているようです拝殿、本殿で ♥を 5個 探して下さい絵馬のお願い事も ありましたよ✨この地域に 有名な八朔…入口や駐車場に 八朔(藁で作った飾り)が飾られており…その、出来映えに 目を 奪われます❗宮司さまとのお話で、制作には1ヶ月を要し、毎年 飾りは変わるらしい…どれも素晴らしかったが、特にエルビスのファンの手が また 凄かったです御朱印を戴きに来ました❗朝、8時30分位に着いたので 御朱印は 書き置きをお受けするか…と、思っていましたが、授与所が、開いていたので お尋ねすると快く 直書きして下さいました✨通常と恋一路神社と 2種類ありますが、恋一路の方は、書き置きになります❗♥を 探していたら ♥の形の葉っぱを発見⤴宮司さまに お話して 記念に 戴きました笑ありがとうございました✨
浜町バス停側の近くにあり、鳥居前に八朔祭で作られた麒麟かな?とても目が生き生きしている姿に感動し、境内に入ってからも、とても気の流れが澄んでいると感じました!なんかハートの石を見つけると恋愛成就するみたいらしく、お稲荷さんの所に一つハートに見える石がありましたよ💗おみくじも豊富で、パワーブレスレットも販売されているみたいです✨ここの神様は私が思うに陽気な神様がいらっしゃるのか地元の方々が本当に陽気な方々が多いのかと思える位気の流れが本当に澄んでいて参拝後とても気持ち良くなれました!かなりオススメします!
小一領神社(こいちりょうじんじゃ)は、九州中央道の山都通潤橋ICの南西2.1kmほどの熊本県上益城郡山都町浜町に鎮座している神社です。旧社格は郷社です。寛仁2年(1018年)阿蘇神社大宮司の阿蘇友仲(あそともなか)により、宮原(浜町)に阿蘇神社の末社として、「柳本大明神(やなぎもとだいみょうじん)」の名で創建されました。名前の由来は神社の横に大きな柳の木があったためだと云われています。阿蘇家は、国家形成前から連綿と続く家系で、天皇家、出雲大社の千家とともに御三家と呼ばれている名家で、大和朝廷より国造(くにのみやつくり)に任ぜられていました。天文5年(1536)阿蘇神社大宮司で戦国大名である阿蘇惟豊(あそこれとよ:1493〜1559年)は、嫡男の千寿丸(のちの惟将)を17歳で初陣総大将に奉じ、御船城主、御船房行の謀反に対して、数千の軍勢を率いて出陣する折(十一月十日)、「柳本大明神」で戦勝を祈願して、「小型の鎧一領」を奉納し、出陣式を境内で行いました。この時、庄屋の井手清右衛門尉豊宣(せいえもんのじょうとよのぶ)が、酒肴を整えて、赤飯の握飯を千寿丸初陣の祝いとして献上した。千寿丸の介添え役だった甲斐親直(ちかなお)は、扇を開いて立ち上がり、「いで(井手)やいで、御船の城の敵の首わが手の内に握飯かな」と舞いながら喝えると、一同はやんやと喝采して大いに士気が高まった。そして、法螺貝が鳴ると、喊声をあげて御船城をめざし進撃した。親直(のちの宗運)が、みごと房行を打ち滅ぼし凱旋すると、惟豊は今度の戦勝は「柳本大明神」のご加護の賜物として、社殿を造営し八十町を社領として寄付した上、社号を「小一領大明神」と改称しました。天正13年(1585年)阿蘇家が島津氏の侵略を受け、その後、豊臣秀吉の九州征伐で島津家は追い払われましたが、阿蘇家の所領が復帰することはありませんでした。天正16年(1588年)に佐々成政に続いて、小西行長が肥後半国の国主となるとキリシタン家臣だった結城弥平次(やへいじ)が矢部城(愛藤寺城)の城代となり、小一領神社もほかの神社仏閣と同様に焼き払われました。慶長5年(1600年)加藤清正が国主となり、慶長18年(1613年)初代矢部郷の大庄屋に任命された、井手玄畜充政次(げんばのじょうまさつぐ)により元和7年(1621年)に現在の地に社殿が再建されました。御祭神は、初代の天皇である神武天皇の孫にあたられる「健磐龍命(たけいわたつのみこと)」、その妃の「阿蘇津媛命(あそつひめのみこと)」、お二人の子供の「國造速甕玉命(くにのみやつこはやみかたものみこと)」の三柱の神々です。境内には、生目神社(眼病の神様)が鎮座しています。元々は町内の新町(妙見さん)にありましたが、現在は小一領神社の拝殿右手に移されて祀られています。神社のある「浜町(はままち)」は、かつてあった肥後熊本藩の上益城郡(かみましきぐん)浜町に由来します。明治22年(1889年)浜町・下馬尾村・千滝村・南田村、・長田村・芦屋田村・山田村・市原村・杉木村・上寺村・城平村・城原村・下市村が合併して、浜町村が発足しました。明治45年(1912年)浜町村が町制施行・改称して、浜町となりました。昭和30年(1955年)浜町・下矢部村・白糸村・御岳村が合併して、矢部町が発足しました。昭和32年(1957年)中島村・名連川村が、矢部町に編入しました。平成17年(2005年)矢部町・清和村が阿蘇郡蘇陽町と合併して、山都町が発足しました。神社のある「旧矢部(やべ)町」は、中世の阿蘇地方を中心に巨大な勢力を誇った阿蘇氏(阿蘇大宮司家)の本拠地でした。現在の矢部高校の敷地には、かつて彼らの政庁であり居館でもあった「浜の館」が置かれ、周辺一帯は政治・文化の中心として大いに栄えました。しかし、戦国時代末期の天正14年(1586年)薩摩の島津氏による侵攻を受けて館は焼失し、阿蘇氏の支配は終焉を迎えます。江戸時代に入ると、熊本藩(細川氏)の統治下で「矢部手永(やべてなが)」と呼ばれる行政区画が設けられ、宿場町や物資の集散地として再び発展しました。水不足に苦しんでいた白糸台地の民を救うため、幕末の嘉永7年(1854年)に惣庄屋の布田保之助が民衆と協力して造り上げたのが、日本最大級の石造アーチ水路橋「通潤橋」です。この橋は高度な土木技術の結晶として、令和5年(2023年)に国の国宝に指定されました。さらに、宝暦年間(1751〜1764年)から五穀豊穣を祈って続く伝統の「八朔祭(はっさくまつり)」など、豊かな歴史と文化は今もなお山都町矢部の地に息づいています。現在は、標高300~900mの高原に位置し、寒暖差のある気候と清らかな水に恵まれ、有機JAS認証農家が全国でもトップクラスに多い有機農業の先進地で、夏秋野菜や「矢部茶」の生産が盛んな自然豊かなエリアです。町の南部は九州脊梁山地につながる山岳地帯であり、五老ヶ滝をはじめとする名瀑や、日本の棚田百選に選ばれた美しい棚田の風景が広がっています。
恋一路、とも言われるこの神社⛩恋愛運が上がる場所としても知られたところ。ハートを見つけるのも楽しいですね「恋愛運を上げるのに行動も大事ですが、運も重要」とある立札もあり、納得お参りの仕方も書いてありました御朱印は書き置きが2種。訪問時は社務所が開いておらず直書きは叶いませんでした。
恋一路、とも言われるこの神社⛩恋愛運が上がる場所としても知られたところ。ハートを見つけるのも楽しいですね「恋愛運を上げるのに行動も大事ですが、運も重要」とある立札もあり、納得お参りの仕方も書いてありました御朱印は書き置きが2種。訪問時は社務所が開いておらず直書きは叶いませんでした。
平成30年に創建千年になったそうです。
| 名前 |
小一領神社 生目神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0967-72-2377 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
町中にある大変しずかな神社です立派な社務所もあり神主さんも在社されてました 御朱印も書置きですがありますどうも恋愛にご利益があるようです。