江戸の格式、徳川家康由来。
日蓮宗本山 慈雲山瑞輪寺の特徴
徳川家康公が縁ある、格式高い名刹です。
荘厳な本堂と広い墓地区域が魅力です。
江戸十大祖師の一つとしての由緒ある寺院です。
御朱印を貰いに行くが、入口が分かりづらい。500です。
駐車場の広い御寺サン。御朱印イタダキマシタ!寺務所にて13時以降の受付になります。
徳川家康が幼いころ日新上人から教育を受けていた頃、将来必ず上人のお寺を建てると約束し、それを実現したといういわば開基は徳川家康というお寺でしょう。境内には客人稲荷神社があります。お釈迦様が民を救済するために菩薩の姿となって現れたとされる、法華経の御守護神と言われています。一般的なお稲荷様のご利益は「五穀豊穣」ですが、客人稲荷様は「商売繁盛」であったり「千客万来」とされています。また、神田上水を引いた大久保主水(モント)の墓所が有ります。主水の名前の由来、読みを聴くのもまた楽しみでしょう。
東京都台東区谷中4-2-5にある日蓮宗の由緒本山、『瑞輪寺』さん。旧本山は身延山久遠寺。潮師法縁。六牙院日潮上人を縁祖として飯高檀林より発生した法縁で現在の日蓮宗の中では最大の法縁。江戸十大祖師の一つとして、除厄・安産飯匙の祖師と称される。江戸時代は身延山久遠寺の善立寺(足立区)、宗延寺(杉並区)と並ぶ江戸触頭であった。● 江戸十祖師 安産飯匙の祖師・1274年3月13日、日蓮聖人佐渡配流・赦免となり鎌倉に向かうの途路に、武蔵国粂川の辺りに関善左衛門という者に会った。・関善左衛門の妻が難産に苦しんでおり、救いを請うと、聖人その家に入り給うとたちどころに安産して母も子もつつがなし。・一家一門その感応を拝みて入信、かしこみて聖人の御尊像を彫みて武州谷中に善性寺を建立しその尊像を安置す。・のち谷中感應寺(現在の天王寺)に移す。・1698年11月12日、不受不施派の弾圧により、天台宗へと改宗させられた感應寺(現天王寺)から、江戸十祖師の一つである安産飯匙の祖師を移す。日蓮宗の檀林の為、寺務所には法華を学ぶ僧侶が居ますが、修行中の身故か、杓子定規が対応に終始するので、他の寺院のような法話は望めません。御主題を頂く際、500円をユニセフ募金箱みたいな箱に入れるよう言われるが、お釣りは貰えないし、両替も自販機も無い(T . T)●山号: 慈雲山●名称:瑞輪寺●住所:東京都台東区谷中4-2-5●宗派:日蓮宗●本尊: 祖師像(安産飯匙祖師)●創建年:1591年●開基:慈雲院日新上人●別称: 江戸十祖師 安産飯匙の祖師●札所等:なし●由来:・1591年、日本橋馬喰町に瑞輪寺創建・1601年、神田に移転。・1649年、現在地に移転。・1868年、上野戦争により全山焼失。・2006年4月、中本山から本山(由緒寺院)に昇格●御朱印:・寺務所にて直書きの御朱印、御主題を拝領・納経料は500円・寺務所受付のボックスに入れる。・お釣りは出ませんので事前に500円の準備を。・御朱印帳には『妙法』の御朱印・御主題帳には御主題が頂けます。『飯匙之祖師 東京七面山』
ヒマラヤ杉をみたあと偶然立ち寄りました。日蓮宗のお寺さん・・・あっ、桜🌸がもっこもこで鮮やかで思わず写真撮りました。谷中の奥近辺は歩いたことがなかったのでとても新鮮でした。都内はだいぶ行ったつもりですがまだまだビギナーレベルですね。
慈雲山瑞輪寺。日蓮宗の寺院。Jiunzan Zuirinji (Buddhist temple).
明治憲法・旧皇室典範を起草した熊本出身の官僚、文部大臣・井上毅のお墓があります。瑞輪寺の門の扁額は、井上毅の揮毫で、「正三位勲一等井上毅」の文字があります。
大久保忠行日本の武士、治水家徳川家康の家臣。永禄6年三河(愛知県)の一向一揆との戦いで負傷し,歩行が不自由となる。家康に命じられ,奉行として江戸小石川上水(のちの神田上水)を完成させ主水(もんと)の名をあたえられた。菓子づくりでも知られ,製品は主水菓子とよばれた。元和3年死去。三河(愛知県)出身。名は忠行。
日蓮宗本山。なのですが、かなり事務的な所が。上人と話をしても人間的な会話には感じません。
| 名前 |
日蓮宗本山 慈雲山瑞輪寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
03-3821-4373 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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日蓮宗の本山です。普段は本堂は閉まっていて堂内は見ることができませんが2月19日の例大祭は何方でもお参り出来ます。