熊本城の戦いを語る、段山の慰霊碑。
西南戦争 段山の戦い 薩軍戦死者慰霊碑の特徴
段山は熊本城の弱点として歴史的な重要性を持っています。
薩軍と熊本鎮台兵の熾烈な争奪戦の舞台です。
周辺の歴史を感じながら静寂なひと時を過ごせます。
近くは民家です。スーパーに停めるのが賢明。
藤崎台へ続く、この段山が熊本城の弱点とされ、薩軍と熊本鎮台兵との間で熾烈な争奪戦が行われました。
南無阿弥陀仏。
| 名前 |
西南戦争 段山の戦い 薩軍戦死者慰霊碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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石碑背面の碑文を読むと、明治10年3月12・13日の段山をめぐる戦いで犠牲になった薩軍兵の遺体は、やむを得ずこの地に埋葬されたが、昭和9年になり、目の前の井芹川の流れを現在の様な直線に変える改修工事を行おうとした際、当時の遺骨が大量に現れたため、工事を担当した西松組によって遺骨回収(大半は川尻の延寿寺に送られたとのこと)とこの慰霊碑建設が行われ、更に昭和50年なって現在のこの場所に移転した、という経緯だそうです。立地的には古地図を見る限り、まだ段山が存在した頃の、山の際と言った所でしょうか。右隣に建つのは、17歳でこの地に戦没した岩重隆五郎(市来郷出身)の墓です。戦役の翌年に、この地の何処かに眠っていたであろう身内の為に建てられたのでしょう。現在まで大切に残して頂いていることに感謝です。------------------------------------------------(正面)西南役薩軍戰 死 者 慰 靈 塔第六師團 長香椎浩平書(背面)明治十年三月段山地方激戰ノ巷トナリ 陣歿セシ幾十ノ薩兵委棄セラレテ 收拾スルニ遑アラス 偶埋藏セランタル死屍アルモ 亦今其所ヲ失フニ至ル 今茲鑿川工事起ルニ方リ 殘骸累々トシテ露出ス 見ル者誰カ黯然タラサルヲ得ン 是ニ於テ西松組有志者直ニ遺骨ヲ歛メ 更ニ碑石ヲ建テ 英魂ノ倚歸ヲ謀ル 余等亦曽テ死者ト與ニ事ヲ倶ニシシ者 豈ニ感懐ノ念ニ堪ンヤ 嗚呼死者今爰ニ寧固ノ地ヲ得タリ 精靈亦幸ニ永ク安ンスル所アラム昭和九年十一月 丁丑感𦾔會長三浦喜傳識------------------------------------------------(正面)明治十年三月十三日鹿兒島縣士族 岩重隆五郎墓於八幡山戰死年十七※八幡山=現存する段山八幡宮からの由来(背面)明治十一年二月二十八日建之親族岩重四朗 永井利用------------------------------------------------