幽霊掛け軸のある寺。
永国寺の特徴
幽霊の掛け軸があり、心霊好きにはたまらないお寺です。
美しい池が印象的で、静かな佇まいが楽しめます。
西南戦争で西郷隆盛が陣を置いた歴史深い場所です。
幽霊の掛け軸を拝見しに訪問。まずは綺麗に掃除が行き届いているのに感服させられました。自由に観覧できるようになっており、いろんな方が来られると思うけど、本当に綺麗にされています。幽霊が出たという裏の池は風情があり、そこを見られる家屋も年代を感じさせますが、掃除が行き届いていました。
高速バスで行かれるのか電車でいくかで本数がえらいかわりますよ高速バス停のとこからでも歩いて40分もあればたどり着けます市バスもでているので活用された方がただ鹿児島方面のバス本数多くないので鹿児島から高速バスで鹿児島に戻られるより新八代とかに上られる方がええかと屋久島行く前によると夜出発のハイビスカスにも間に合わなくなりまする12時台発のバスのらんとまにあわないっすだんドーン読まれた方は行かれた方がよいかとゆうれい画と幽霊の出た池是非とも住職の説明されているDVD10分ほどですのでご覧になることオススメですあわててバタバタより池の前や畳のあるとこで1分や2分からでもいいので静座や坐禅されると心が落ち着くかとおもいます数珠や御朱印もありますよ。
子供と一緒に夏の思い出づくりに訪問しました。自由に参観できるので自分のペースでゆっくり鑑賞できて最高でした。
通称「ゆうれい寺」。また、西南戦争の本陣でもあったお寺です。改築されているので、お寺自体は綺麗です。お墓と隣接して保育園があるので(墓地の中に保育園がある感じ)、ビックリなさる方が多いかもしれません。本堂より右手に進むと、幽霊が出たという美しいお庭と池があり、左手には幽霊の掛軸が展示されています。この世では、特に時代的にも人それぞれいろいろな想いを抱えたでしょうから、どうかすべての魂が安寧の地へ辿り着いていますように、と願いつつ。※市役所からの通り沿いで近いので、場所は非常に分かりやすいです。むしろ目立ちます。なにやらユニークなイベント等もなさっていて。駐車場も困らない台数分はしっかりあり、地元の方々に親しまれているようで、微笑ましかったです^_^
★幽霊や西郷隆盛との御縁がある、お寺★こちらをGoogleマップ検索すると『幽霊』ってワードが多くて、氣になり伺いました。本堂入って左手に、幽霊の掛け軸。本堂入って右手の通路を行き、階段を降りて、そのま隣のお屋敷に入ると左手に行くと『幽霊が出たらしい池』が観れます。小銭を用意し、浄財入れてきました。又、お寺のマダムも電話対応して下さり、お嬢さんは、池の行き方を案内して下さり、住職さんも丁寧に対応して下さいました。尚、本堂左手にある案内ビデオは絶対、観た方が良いです。それ観て、又、浄財入れに行ったほど。ふらりと伺いましたが、行って良かったです。ありがとうございました💖感謝します。
曹洞宗のお寺さんで幽霊の掛け軸があることで有名で幽霊寺とも呼ばれるそうです。境内にレプリカにはなりますが常時幽霊の掛け軸(レプリカ)は展示されています。なかなかのベッピンさんの幽霊でしたが憑いてこられると困るなと、ビビりの僕は拝見だけさせていただき写真までは撮られませんでした立派なお庭もありキレイだなと拝見しているとまさにこのお庭の池に幽霊が出たんだよとお寺の方が教えてくれてドキッとしました、早よ言うてくださいや、うらめしや西南戦争の際の西郷軍本陣としても有名なお寺さんです。
裏にある池が最高に美しいです✨また、ここは幽霊の発祥?の地みたいでした。自分の知らないことがいっぱいだなーって思った素敵なところでした。
街の中にあるのに、喧騒を忘れるような、静かな佇まい。本堂から右手の方へ行くと、幽霊が現れたという池がある。カメが甲羅干ししているところが見られるかも。6月頃は、この池でスイレンの花が見頃を迎える。
幽霊の掛け軸を見たさに訪ねました。肝心の掛け軸は反射の強いガラスケースに納められていたので写真には収めることは難しかったですが、西南戦争を描いた絵図があったり、西南戦争の碑があったりして見どころ満載でした。(2022年5月)
| 名前 |
永国寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0966-22-2458 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 8:00~17:00 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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2025年8月 平日の訪問西南戦争で薩摩軍の本陣が置かれました。西郷さんを偲ぶ石碑も建立されています。幽霊寺としても知られています。*******以下、お寺のパンフレットより抜粋明治10年(1877年)西南の役の際、田原坂で敗れ撤退する西郷隆盛は、当寺に本営を置き、33日間在陣した。しかし、攻め寄せる官軍の為、5月29日狙撃隊長池上四郎の部隊に守られて、加久藤峠を越えて退却していった。6月1日の人吉市街戦で当寺も全焼し、明治24年(1891年)に至って、本堂が再建された。本堂の老化もあり、平成29年(2017年)に現在の本堂に改築された。