唐津天満宮で御朱印体験✨
唐津天満宮の特徴
唐津天満宮ではご丁寧に御朱印を対応していただけます。
境内には綺麗な有田焼の燈籠や石像がある魅力的な神社です。
駐車場のアクセスが分かりにくいが、裏口から車が入れます。
なかなか場所がわからず。拝殿後方から入る道あり。狭いのでそろりそろりと入っていきました。すぐ目の前に、鷹?鷲?が。!!全く動かなくて、こちらをじーっと見てたので、車の中から手を合わせてこちらをあとにしました。社務所はすでに閉まっていたので、次は早めに行こうと思います。ありがとうございました^ ^
ご丁寧に御朱印を対応して頂きました。ありがとうございます。
唐津市内をゆっくり観光する機会はなかったので、今回は初見です✨一応、わかりにくいですが駐車場もあるみたいでした😆こま犬が珍しいですね✨
駐車場まで登る道はかなり狭いので、皆様ご注意下さい。唐津神社みたいに大きくは有りませんが、こちらも良かったです。以下引用させて頂きました。唐津天満宮は唐津藩初代の城主となった寺沢志摩守広高が築城の際、満島山(今の舞鶴公園)に祀っていた神社で、「春来ればなほ類ひなき梅の花」 慶長十一年九月 願主 広高 という発願の歌が残っている。(「けふ立初めて見に来ぬるかな」 元和六年 十月 願主 広高)天和五年(1619年)現在の天神山に移転、鎮座祭が行われている。広高、堅高の二代にわたって、崇敬の念篤く、毎年米七石を寄進し、和歌や連歌を奉納しているが、寺沢堅高は江戸藩邸で自ら命を絶ち、嗣子なく、寺沢家十二万三千石は断絶している。恒例の祭礼や神前連歌会は長く続いていたと言われている。特に九月の祭礼の折りには奉納相撲が行われ、大正初期まで続いた。また明治期までは、大相撲も行われ、明治四十年には、「常陸山」「梅ケ谷」の両横綱の興業があり、後の世までの語り草であった。藩政時代の天満宮の参道筋は、大石町、魚屋町など、藩を支えた豪商の町で、明治中頃は寄席「舞鶴」もあったほどの栄えた街並であった。第二次大戦頃までは、正月七日の鬼すべと同時に「ウソ替え」もあっていた。鬼すべ、「おんじゃおんじゃ」は、現在まで守り継がれて郷土の名物となり、故郷を離れた人にとっては忘れ難い思い出となっている祭で、いつまでも続いてほしいものである。
御朱印を墨を摺って書いて頂きました。ありがとうございます。
2019.12.24参拝少し道は分かりにくいですが、大通り(裏口)からなら、車で境内まで入ることが可能です。思っていた以上に境内は広く趣があります。宮司さん、お忙しいのに優しく御朱印の対応していただきありがとうございました。
宮司さん不在で御朱印は分かりませんでした。
2020年 2月参拝。初めて来てみました❗ 近くの道は、一方通行があったり細いので 注意が必要です❗境内は、こじんまりとしています。御朱印を 戴きに来ました❗社務所と、書かれている場所はなく…電話で 確認したところ 今 出ておられるとの事で、タイミング悪く 戴けませんでした。またの、機会に しようと思います❗駐車場ですが、鳥居の前の道とは 反対側に入口があり… 境内まで 行けました❗ただ…むちゃくちゃ 狭いので 軽かコンパクトカーが 良いですよ❗
ナビだと正面鳥居側に案内されてしまいましたが裏に駐車場あり、の看板を見て回り込むように行ってみましたちょうど神社の裏側、東新興町の信号付近にある集合住宅の駐車場の横を進むと(すごく狭い道)拝殿裏に出てすぐに駐車場がありました境内は綺麗にお手入れされていて手水も使えます綺麗な有田焼の燈籠、牛と馬の石像などもありました御朱印が頂けるようですが、今日はお電話でもお留守のようでしたのでまた伺いたいです。
| 名前 |
唐津天満宮 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0955-72-4844 |
| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
|
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