武蔵の山寺、心清らかに。
武蔵国分寺の特徴
心を清らかにする荘厳な雰囲気を持つお寺です。
江戸時代の建築様式の立派な門を有しています。
野鳥のさえずりしか聞こえない静けさが魅力です。
武蔵国分寺跡の北側、国分寺崖線を背に建つこちらの寺院は、鎌倉時代末期の分倍河原の戦いで旧武蔵国分寺が焼失した後に新田義貞によって再建された後継となる国分寺です。
久しぶりにサイクリングに出かけ、知人宅前の公園でひと休み。国分寺のご厚意で開放されている公園で子供向けの遊具も設けられています。傍らに戦没者の慰霊碑等があり手を合わせたうえで裏側を拝見。地元の戦没者の氏名が沢山刻まれていました。順番に見ていくと妻のおじさんの名前を発見。妻の父母(故人)からも聞いていなかったのでビックリ!楼門、仁王門、鐘撞、薬師堂は時代を感じます。お隣にはのお鷹の道やカフェもあり散策も楽しめます。南にも跡地が広がり、緑も多く暑さを忘れられる一時でした。
最寄り駅 JR中央線 国分寺駅徒歩20分位拝観料は無料山号 医王山宗派 真言宗豊山派本尊 薬師如来奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、武蔵国国分寺の後継寺院にあたる。『医王山国分寺縁起』によれば、武蔵国の国分寺は、元弘3年(1333年)の分倍河原の戦いで焼失し、建武2年(1335年)、新田義貞により薬師堂が再建されたという。その後衰退し、1725年に本堂が再建され、宝暦6年(1756年)頃に薬師堂が再建された。との事です。聖武天皇時代の国分寺かをそのまま残っている訳ではありませんがそれでも古い歴史あるお寺です。本堂前の楼門や薬師堂、仁王門が素晴しい作りで薬師堂は雰囲気が最高です。お堂の裏に石仏が並んでおり四国八十八ヶ所に因んだ物だそうですが壮観な眺めです。
真言宗豊山派のお寺で医王山最勝院国分寺といいます。御本尊は薬師如来になります。医王山最勝院国分寺は奈良時代の天平十三年(741年)に、聖武天皇発布の詔(みことのり)により鎮護国家を記念して全国に六十寺余り設置された国分寺の一つで、武蔵国分寺(現国指定史跡:武蔵国分寺跡)の後継寺院という位置づけになり「武蔵国分寺跡」の傍らに建っています。「武蔵国分寺」は鎌倉時代末期の元弘三年(1333年)の五月十五日に、新田義貞公率いる倒幕軍と恵性入道泰家(北条高時の弟)率いる鎌倉幕府軍が分倍河原一帯で激突した際に、敗れた新田義貞軍にによって奈良時代に創建された「武蔵国分寺」の伽藍は廃燼に帰してしまったと伝わりますが、建武二年(1335年)に新田義貞公によって薬師堂が再建されたという。最勝院国分寺の現在の薬師堂と仁王門は、江戸時代中期の再建による建物です。戦火による焼失を免れた薬師如来(重要文化財に指定)は、木造寄木造りで像高約1.95メートル、最勝院国分寺の御本尊として薬師堂に安置されています、日光菩薩・月光菩薩を脇侍に従え薬師三尊の形を取ります、また眷属として十二神将を従えていて毎年十月十日(目の日)に御開帳されます。
荘厳な雰囲気と武蔵野の豊かな自然に囲まれた境内は心を清らかにしてくれます。ハケを背後にしており湧水が流れ、雰囲気もあります。今朝訪れたら美しいパステル三毛猫がいました。おそらく地域猫さんと思われますが、人懐こい性格で『にゃー!にゃー!』と語り掛けており、お腹が空いていたのかな?JR中央線西国分寺駅から徒歩10分。駐車場はありませんので、公共交通機関をご利用ください。
江戸時代の建築様式を取り入れた立派な門を進むと、広い境内を備えた武蔵国分寺があります。
現在の武蔵国分寺は小さなお寺ですが、南側の武蔵国分寺跡を見ると、創建当時は大きなお寺だったことが伺える。隣の薬師堂も含めて武蔵国分寺と言えると思う。寺務所には「当分御朱印はやっていません」と書かれていたが、お願いしたら書き置きの御朱印を頂けた。
この辺りは神社があったり、薬師堂があったり、仁王門があったりと、深く長い歴史のある一帯ですね。こちらのお寺も本堂は大きく、境内に入る前には大きな門が参拝者を迎いれてくれます。
広大な武蔵国分寺跡の一隅に、真言宗豊山派の国分寺がある。国分寺跡から続く一本道の先に石段があり、それを上ると古い仁王門があり、更に、石段を上がると薬師堂が、その歴史を物語るかの如く建っていた。並立している八幡神社に手を合わせて帰ろうとしたが、横道に入ると大きな山門が目に止まり、そこが国分寺であることに気が付いた。境内は、この宗派の総本山長谷寺を始めとし、草花を大事にする特色を存分に表現している。周辺も散歩コースとして整備されており、年配者が静かな時を過ごしていた。
| 名前 |
武蔵国分寺 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
武蔵国分寺は、真言宗のお寺です。武蔵国国分寺の後継寺院です。武蔵国の国分寺は、元弘3年(1333)の分倍河原の戦いで焼失し、建武2年(1335)、新田義貞により薬師堂が再建されたと伝えられています。その後衰退し、享保10年(1725)に本堂が再建され、宝暦6年(1756)頃に薬師堂が再建されました。 仁王門は宝暦年間(1751~1763)の建立で、入母屋造の八脚門です。楼門は米津寺(東久留米市)の楼門を明治28年に移築したものです。