舟戸氷川神社参道でのひととき。
十度の宮の特徴
浮世を離れた舟戸氷川神社の境内でお参りができる。
江戸後期の地誌に記載された歴史ある神社です。
参道の風情が感じられる心安らぐ場所です。
江戸後期の地誌『新編武蔵風土記稿』に当社の記載がある。「……金剛院にて古へ村内西南の方にありしが、数度の洪水に押流され今の処に流寄こと十度なりしかば、爰に塚を築榎を植て社を移す、土人今も十度の宮とも称せり」現代語訳すると,「金剛院(の所有?)にて,古くは(蓮沼村)村内の西南の方向にあったが,数度の洪水に押し流され,今の所(船戸2丁目8付近という。)に流着いたことが十度あったので,そこに水塚を築き,榎を植えて,社を移した。地元民は,(氷川神社と呼ぶ他)現在も十度の宮とも呼んでいる」くらいになるだろう。「村内西南の方」は,現在の舟渡4丁目1や蓮根3丁目22の辺りかと思われる。そこは当時,荒川が接しており,また,かつての蓮沼村の南西に当たる。(明治以降荒川はガッツリ流路変更がなされているため,現在の地図を見ても,江戸時代当時と全く様相が異なり,参考にならない。)いずれにせよ,この石祠は当時の水害の多さを物語る史料の一つになるものと了解される。なお,船戸二丁目にあった十度宮は,大正年間の中山道の拡張工事により蓮根氷川神社に移されたが,昭和年間の舟渡氷川神社の創建により,当地に再々遷宮されたという。
| 名前 |
十度の宮 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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舟戸氷川神社の参道左手の境内にありましたので一緒にお参りさせていただきました。十度の名前の由来は洪水で何度も流された石祠がこの地に十度戻ってきたことからその名が生まれたそうです。