後世に残すべき沖縄の掩体壕。
掩体壕の特徴
戦後77年が経過した今も現存する貴重な遺構です。
旧日本軍が使っていた掩体壕の重要性を感じます。
ひっそりとした場所にある史跡で静かな佇まいを楽しめます。
80余年前の沖縄戦の遺構の一つ。かなり劣化が進んでいるようで、崩れる恐れがある為、掩体壕の上には登らないよう注意書きがある。中からは崩落を防ぐ為、鉄骨で支えられている。戦争の悲惨さや今後の平和の尊さを伝えるために残して置きたい貴重な遺構である。
80年前沖縄は戦場だった。中飛行場(現米軍嘉手納基地)と読谷山北飛行場は、上陸したその日のうちに米軍に占領された。それ依頼、嘉手納は返されていない。読谷山飛行場は2006年に返還され、跡地は競技場などに利用されているが、まだ、空き地は残されているし、旧日本軍の掩体壕も、残っている。米軍は上陸3日後の4月3日には滑走路を再整備し、本土爆撃に使えるようにしていた。日本軍は、占領された両飛行場に輸送機で強制着陸して飛行機や施設などを破壊するという作戦とは言い難い作戦を実行した。それを実行したのが義烈空挺隊という特殊部隊。占領された沖縄の嘉手納飛行場と読谷飛行場へ輸送機で強制着陸して破壊活動をした。この作戦で敵にどれだけの被害を与えられると計算したのか?兵士の命を無駄にする特攻に近い攻撃だった。10機程度の輸送機で熊本県の飛行場から出撃したが、飛行機の故障で引き返したり、多くの機体が撃墜され、着陸に成功したのは1機のみで、与えた被害も限定的だった。
昔から気になっていた場所へ、、、!!筋道を通ると突然開けた場所へ…これが現れます。歴史を感じられて感動しました。
道路が途中から砂利道にかわって、左右プチジャングルになるけれど、着いた先は広場になっていて余裕で車を停められます。遺しておくべき場所です。
大東亜戦争の戦跡めぐり読谷村民を動員して作った旧陸軍北沖縄飛行場。航空機を隠すために作られた掩体壕です。今ではここしか掩体壕はありません。
旧日本軍の北飛行機に造られた掩体壕約10基のうち現存する最後の1基。義烈空挺隊玉砕の地でもあるそうです。
旧日本軍が戦闘飛行機を隠したシェルター。80年以上前の戦跡がしっかりとした形で残ります。壕内にできた鍾乳石が時間の経過を物語ります。こんなに近距離で、じっくり見られる掩体壕は少ないかと。
ドラム缶を積み上げ基礎を作った後、コンクリートで上面を固めた飛行場の格納庫✈︎ 戦後には7基確認できたそうですが、これが現存する最後の掩体壕となっています。現在では鉄骨の補強が入り原型はとどめているものの、大分コンクリートの劣化が進んでいる為、遠くない未来には見られれなくなるでしょう。縁部の弾痕跡が当時の凄まじさを忍ばせます。近くにある飛行場の滑走路も同じく、将来的に歴史的遺産となる遺構です。これ以上風化しない手立ては取れないものなのでしょうか。当時の戦争で私の伯父さんも亡くなっています。ここで、手を合わせる事しか出来ない私は、自分の無力さに情け無さを覚えます。どうか安らかにお休みください🙏
戦後77年今も現存する遺構です。機銃掃射の痕などが生々しく残っています。
| 名前 |
掩体壕 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP |
https://www.tsunagaru-map.com/yomitan-culture-guide/map.html?point=1212 |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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周辺のオススメ
義烈空挺隊玉砕の地のすぐそばにあります。この界隈も飛行場があったため戦跡がたくさんあります。現在周辺の開発が進んでいますが整備され残されていくことを切に望みます。