美しい海に映る英霊の碑。
伊舎堂用久中佐と隊員の顕彰碑の特徴
美しい海の目の前に位置する顕彰碑です。
裏側には特攻隊員の名前や碑文が刻まれています。
石垣市内からすぐのアクセス便利な場所にあります。
先月伺いました。先人たちに感謝するとともに、後世のためにこの国に貢献したいと思います。
沖縄戦の一番先に特攻をしたのが伊舎堂用久さん率いる部隊です。それを顕彰する想いが石垣には残っています。戦争に対していろいろなご意見があるかと思いますが、それとは別で、事実として散華なさった方々に対するリスペクトは示すべきではないでしょうか。私は、顕彰碑を建立していただいた方々に感謝いたします。
石垣島出身で、沖縄戦で初めて神風を覚悟して自決したパイロットの慰霊碑。これは、戦死した陸軍航空隊特殊部隊を称える記念碑である。戦争の不利な時期に祖国のために献身したことを称え、31人のパイロットの名前が石に刻まれている。太平洋戦争末期、石垣島には特別攻撃隊の基地があった。旧石垣空港の跡地には海軍飛行場が、新空港の南側には軍用飛行場があり、この2つの飛行場から多くの神風特攻隊員が沖縄本島上空に飛び立ち、帰らぬ人となった。Memorial to the first pilots from the island of Ishigaki in Japan to give themselves up with determination as kamikazes in the Battle of Okinawa. This is a monument in honor of the Army Air Forces Special Forces who were killed in action. The names of 31 pilots are engraved on the stone in honor of their dedication to their country at an unfavorable time in the war.At the end of the Pacific War, Ishigaki Island was home to a special attack unit base. There was a naval airfield on the site of the old Ishigaki airport and a military airfield to the south of the new airport and from these two airfields many kamikaze pilots took off into the skies over the main island of Okinawa, never to return home.Memorial aos primeiros pilotos da ilha de Ishigaki, no Japão, a se entregarem com determinação como kamikazes na batalha de Okinawa. Este é um monumento em homenagem às Forças Especiais das Forças Aéreas do Exército que foram mortas em combate. O nome de 31 pilotos foi gravado na pedra, em homenagem à dedicação oferecida a seu país, num momento desfavorável da guerra.No final da Guerra do Pacífico, a Ilha Ishigaki abrigava uma base de unidade de ataque especial. Havia um campo de aviação naval no local do antigo aeroporto de Ishigaki e um campo de aviação militar ao sul do novo aeroporto e desses dois campos de aviação muitos pilotos kamikaze decolaram para os céus da ilha principal de Okinawa, para nunca mais voltar para casa.
離島ターミナルから歩いて行きました。碑文を読んだ後、空を見上げると胸が熱くなりました。
沖縄特攻隊第1号の伊舎堂中佐をはじめとする31名の顕彰碑。顕彰とは讃えるということです。この青い空と海を見ながら飛び立った隊員と今のスクランブル発進で飛び立つ自衛隊員が重なる。故郷を守るため、今も昔も命懸けの任務を遂行する人々に感謝と敬意を表します。
戦没された特攻隊員の名前が刻まれています、裏にも文章が書いてありますので、裏側も読んでみてください。感慨深いものがありました、そのあとに海を眺めると様々な思いが沸きました。
美しい海の目の前にある顕彰碑。刻まれた隊員達の名前、年齢、出身地を見ると、とても胸にくるものがあります。ありがとうございます。安らかにお眠りください。
特攻隊として出撃された方々の名前が刻まれている。
ここから日本を守るために出立されたかと思うと、涙が自然と溢れてしまいました。本当にありがとうございます…
| 名前 |
伊舎堂用久中佐と隊員の顕彰碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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伊舍堂用久(いしゃどう ようきゅう)中佐は、1920年(大正9年)6月12日生まれ。沖縄県石垣島登野城出身。戦死時の大尉から二階級特進し最終階級は陸軍中佐になりました。伊舎堂中佐の経歴は割愛します。1945年2月18日に石垣島の陸軍石垣島飛行場(白保飛行場)の誠第17飛行隊隊長として台湾から着任し、同年3月26日に伊舎堂大尉率いる99式襲撃機6機が出撃、慶良間諸島沖で米海軍機動部隊に特攻して戦死。享年24歳でした。その際の特攻攻撃は米軍側に「ありったけの地獄をあつめた戦場」と言わしめた沖縄戦の火蓋を切った攻撃であり、と同時に沖縄戦における最初の特攻として後に知られる事になります。当時の伊舍堂大尉は台湾から故郷石垣島に着任し、そこでしばらく軍務に就いていましたが、島外から赴任している部下の手前、公私の別を厳格に分けるため、面会に来ていた家族や将来を誓った婚約者とも会おうとはせず、島内の実家へ帰ったのは特攻出撃直前の一回きりだったと言われています。戦後日本社会や世相は、御国の為に肉弾散華した数々の軍神に対して非常に冷たいものです。伊舎堂中佐をはじめ、石垣から出撃した計31名の特攻隊員を顕彰する顕彰碑の建立は、彼らの没後68年経過した2013年(平成25年)8月15日です。神風特別攻撃隊「敷島隊」の隊長であり、大東亜戦争における特別攻撃で最初に散華した関行男中佐は、戦時中には「軍神」として大きく称えられましたが、終戦後10年経過しないと墓でさえ建てて貰えなかったことも考えると、とても複雑な気持ちになります。伊舎堂中佐の辞世の句は「指折りつ 待ちに待ちたる機ぞ来る 千尋の海に散るぞたのしき」と言われております。自己犠牲をいとわず、国ばかりか家族、さらに見ず知らずの他人を守る強い思いを持って没した英霊たちの精神性と生き様に、現代社会でも学ぶべきことは非常に多いと思います。そのような人たちへ敬意を払うとと共に、その生き様に報いるような人生を歩みたいものです。