歴史を感じる伊能忠敬の墓。
源空寺の特徴
スカイツリーを真正面に望む、静かな芝生の広場が魅力です。
江戸時代の測量者、伊能忠敬のお墓がある由緒正しい寺院です。
高橋至時や谷文晁などの著名な人物のお墓が整備された墓地にあります。
伊能忠敬を始め、高橋至時、景保親子、谷文晁、幡随院長兵衛といった江戸期の著名人の墓がある浄土宗の寺院。墓地は道を挟んで本堂の南側にある。寺の入口は南側にあり、東側の正門からは入れないので注意。
芝生がいい味出してます。
日本地図を作成したことで有名な伊能忠敬の墓地図を作成するまでは幕府の重鎮ですら日本の形を詳細に理解しておらず、その中世界の大きさを知りたいと思い、精密機器すらない時代に歩測などを用いた原始的な測量で正確な大日本沿海輿地全図を完成(正確には地図同士の結合に手間取り伊能の死後に完成)させた。伊能忠敬の隣には、師である高橋至時(伊能よりかなり年下の測量の師)も祀られている。
スカイツリーが真正面に見えます❗️
徳川家康が慶長9年(1604年)に寺領、堂宇と源空寺の号を与えたのが創建とされるそうです。道をはさんだ墓地には伊能忠敬の墓・高橋景保の墓・高橋至時の墓・幡随院長兵衛の墓・谷文晁の墓・谷幹々の墓など江戸期の著名墓が多くあります。
道路の向かい側に墓地があり、江戸時代の測量者、伊能忠敬のお墓があります。千葉県の商人ですが50歳で隠居し、そこから本格的に測量を勉強した努力家。当時未開の地だった蝦夷地に分け入り、世界トップレベルに正確な測量図を作り上げました。となりには師匠の天文学者高橋至時のお墓があります。この人も幕府の優秀な学者でした。
源空寺本堂と道路を挟んだ墓地に谷文晁の墓がある。(写真)谷文晁(1763年10月15日 - 1841年1月6日)は、江戸時代後期の日本の画家。源空寺近くの江戸下谷根岸の生れ。(1841年)歿。享年79下谷二長町にあった画塾写山楼には多くの弟子が入門。渡辺崋山・立原杏所などのちの大家を輩出した。この完成度の高い画家の人気は今も高い。墓は墓地の門を入ってすぐ左側に伊能忠敬、幡随院長兵衛の墓と並んである。右側に倒れたらしくひび割れと損傷個所が痛々しい。倒れたのは東北大震災のときか。江戸の著名人の墓石の間で肩身が狭そうだ。谷文晁の墓石の隣にある墓石が気になった。蘭人氏墓とあるが誰だろう。(写真)
立派なお寺です。
東京都の指定史跡。幡随院長兵衛、江戸時代初期の侠客の菩提寺。乃木陸軍大将の菩提寺。
| 名前 |
源空寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
03-3844-1131 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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初めて行きましたが、伊能忠敬のお墓があるとは思いませんでした。