沖縄の歴史、慰霊の深さを体感。
海軍戦没者慰霊之塔の特徴
旧海軍司令部壕と併せて、歴史を感じる場所です。
野村海軍大将による碑文が特徴的な慰霊塔です。
戦争の悲惨さと平和の大切さを深く感じました。
日本側では約4,000人の犠牲者を出し、日本海軍の組織的戦闘が終結した場所です。海軍戦没者慰霊之塔戦没者の御霊を慰めるため建立。ここには当初、駆逐艦「卯月」のケッジアンカーが置かれていたが、昭和35年頃何者かに持ち去られてしまった。現在ある錨は「卯月」の錨が無くなった年、当時の横須賀地方総監から寄贈されたものだそう。
2024.7.7訪問です。海軍壕公園の中にあります。小高い丘の上まで、登ってくると、海軍戦没者慰霊之塔があります。この場所の地下には、旧海軍司令部壕があります。沖縄の街を見渡せる場所であり、上空を海軍の飛行場であった、那覇空港を離発着する飛行機が飛んでいます。いろいろ考えさせられる場所です。
昭和33年に沖縄海友会と海軍戦没者慰霊之塔建立発起人会によって建立されたらしいです。
おきなわの、豊見城とみぐすくの、小禄の、大切なところです!平和を考えることとか、大切にしていきたいです!
旧海軍司令部壕の見学後に、この慰霊塔で戦没者のご冥福をお祈りしました。すぐ近くに展望台があり、市街を見渡せます。
この碑文の揮毫は野村海軍大将のもの。第二次近衛内閣の駐米大使としてあまりにも有名です。野村は旧紀州藩士の子弟として生まれ、旧和歌山中学(現桐蔭高校)から海軍兵学校に。軍令部次長や学習院院長を務め、戦後は同郷の松下幸之助から傘下の日本ビクター社長職を乞われ就任、その後公職追放が解かれると吉田茂首相らの要請で海上自衛隊の前身・海上警備隊の創設に関わった。この後、和歌山選挙区から参議院議員に2期当選。戦前も戦中も戦後もまた、日本海軍と共にあった野村吉三郎の揮毫なのです。
地下の防空壕は暑くもなく涼し過ぎず見て回れたよ!幕僚室は生々しい痕跡でした。
旧海軍司令部壕の見学後に、この慰霊塔で戦没者のご冥福をお祈りしました。すぐ近くに展望台があり、市街を見渡せます。
ひめゆりの塔以上の何かを感じました。世界平和について本当に戦争が二度と起こらないことを祈るように思います。
| 名前 |
海軍戦没者慰霊之塔 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
098-850-4055 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 8:30~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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現地の海軍部隊に加え、戦艦大和以下の菊水作戦部隊参加将兵の慰霊碑でもあるんですね🙏戦前の阿部内閣の外務大臣であったはずの野村吉三郎謹書って、あるのでもしかしてとググると戦後も政治家で活躍されてたとはこういうところで新たな発見。