名護屋城博物館直結、史跡探訪!
木下延俊陣跡の特徴
佐賀県立名護屋城博物館から直接アクセス可能です。
桟橋型の見学道が整備されていて便利です。
遺構表示や説明板がとてもわかりやすいです。
見学忘れられがちな史跡のひとつ。こちらチェックした方は本当の城好きですね🏯
館内にジオラマがあって、横で誘導の動画が放映されていた。動画の主人公である木下延俊の家臣が「それでは陣跡は出てすぐの階段を登ったところにあるので、またお会いしましょう」と言い出した。そもそも木下延俊という武将を知らなくて、さらにその家臣に言われてるのだが、なんか可哀想になってきて、階段を登った。家臣は社交的と思われる木下延俊とは対照的などんよりしたタイプ。写真の真ん中の人。胃が痛いが口癖のようだ。陣跡ではQRコードを読み込むと、家臣がこの陣跡を作った時の苦労が浮かび上がってくる。職人に判断を迫られ、木下延俊に相談するとはぐらかされるという、中間管理職の悲哀を味わえる。
佐賀県立名護屋城博物館のすぐ裏にあり直結しています。佐賀県立名護屋城博物館内に専用の説明と模型があるのは良いのですが、すぐいけるようになっているにも関わらず全く掃除等されていないようで、昨年から積もったままのような枯れ葉が大量に歩道に落ちていました。すぐ横ですが佐賀県立名護屋城博物館のスタッフは掃除に行けないくらいとても忙しいのだと思います。見学者が掃除できるようにほうきを置いておいておくとよいでしょう。
2024年9月6日参陣博物館から行けます。石塁も良いですが、見所は雪隠ですよ。
博物館から行けて桟橋型の見学道が整備されてる🚶♂️ぐるり まわると遺構表示に説明板🪧でわかりやすい👍️
名護屋城博物館に入らないと行けない(博物館は無料ですけど😊)特別史跡です。最近、再整備が完了したようです。まだまだ少ない整備済みの陣跡のうちの一つです。(多くはただの小山(台地)、ただの平坦地─史料価値が損なわれている陣跡も少なくはないのでしょうけど)さて、木下延俊ですが秀吉からすると、妻(北政所おね)の甥。小早川秀秋の実兄です。名護屋在陣時はわずか15歳であったといいます。北政所の寵愛を最も受けたとされています。また慶長18年の1年間、1日も欠かさずしたためられた「慶長日記」を遺した人物としても知られています。日記の記述から交際範囲が広いことが窺え、魅力あふれる人物像が想像されます。秀吉の親族ながら、早々に東軍への加担を旗幟鮮明にしたのは義兄・細川忠興の助言であったといいます。忠興の子・忠利(肥後熊本初代藩主)とも親したかったそうです。また、徳川二代将軍秀忠の覚えもよく、馬を拝領したり、大阪城普請や後水尾天皇の京都行幸に参列するなど、三万石の小身ながら要職をつとめています。関ヶ原後、一度西軍に加担した実弟・小早川秀秋の姫路入城を拒むなど、節義も持ち合わせていたのかも、知れません。自らの才覚と周囲からの助力もあって、秀吉亡き後の難局を乗り切り、豊後日出藩初代藩主となります。延俊自身も島原の乱に出陣するなど長命し、日出藩木下家は明治維新まで存続することとなります。
名護屋城博物館の裏に位置します。裏口から陣屋まで、遊歩道が整備されています。石塁・石敷・飛石・玉砂利・通路・矢の跡・便所跡などを見ることができます。
| 名前 |
木下延俊陣跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0955-82-4905 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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