長井戸神社で感じる戦乱の歴史。
長井戸城跡の特徴
夏祭りでは御神輿が観られる神社内の特別なエリアです。
長井戸神社境内には堀と土塁がしっかり残っています。
拝殿の周りには歴史ある堀跡が広がる城跡です。
古河公方から結城氏、後北条氏と戦乱の渦中に在った菅谷左京と言う武士の館跡らしいです。説明板はありませんが、この辺りの地を守っていた家臣団の城跡なのでしょう。菅谷さんと言えば小田氏の家臣で優秀な方がいらっしゃいましたがその菅谷さんとの繋がりは謎です。近くにも菅谷さんの名前を見るので後に帰農したのでしょうか。城跡は現在は境内に遺構が残り、二重土塁に横矢掛けの空堀等の城郭遺構?が眠ります。貴重な遺構の存続に尽力願いたい物です。
境町歴史民俗資料館の館長様に教えていただき訪れました。戦国時代には長井戸沼という沼が存在したらしく沼の東側に長井戸城とその出城的機能を持った田向の城が築かれ北側には稲尾氏の稲尾城というお城があったようです。長井戸城は南北朝時代から室町時代に古河公方の城郭として築城され戦国時代の天文年間に小山氏の攻撃を受け稲尾氏とともに開場したそうです。その後小山氏家臣として菅谷左京の居城として存続しましたが北関東の小勢力の例にもれず北条氏をはじめとする周辺の大勢力に翻弄され続けたようです。現在では城跡に香取神社が建立されており遺構自体はそれほど大規模ではありませんが空堀や土塁の跡がはっきりと残っていて過去には3年に渡って遺跡調査が行われたそうです。
神社の境内に土塁と空堀が一部残されている。境内はキレイに草刈がされていて、遺構は見やすかった。
神社内にある掘で夏祭りでは御神輿など観られる場所です。
2021/8/28神社になることにより、ほぼそのまま遺されたようだ。恐らく隣のコミュニティセンターも城域だったのだろう。主郭である本殿の土塁は直角に折れており、土塁も二重になっている場所がある。外郭を取り巻く土塁と堀も一部遺されており、なかなか素晴らしい遺構である。
長井戸神社境内の周りに堀と土塁が残っていました。期待しないで行ったので、思ったより良かったです。由来などの歴史看板が欲しいです。
拝殿の周りに堀跡があり、確かに城跡だわ。
| 名前 |
長井戸城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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遺構の見応えとしての評価。2025年8月に訪問。この日は東武動物公園駅まで行き、バスで40分前後。中学校入口で下車し、そこから徒歩15分位。長井戸香取神社と、隣接する長井戸集落センターの敷地が長井戸城と思われる。※googlemapsだと中学校入口で下車と経路案内がされるが、その次の境車庫で降りたほうが近いと思われる。このアプリの経路案内は、時々1個前の停留所で降ろそうとするので要注意だ。長井戸香取神社の入口から正面に土塁と空堀が確認出来、正面東側には折りがあり西側の長井戸集落センター敷地からは消失している。土塁は概ね1.5m〜2mちょっとで敷地の左半分が残存し、長井戸集落センター敷地側で切れている。30分もかからず見て回れる広さだろうか。尚、ここから南西に歩いて15分ほどに田向城址もあるので向かってみたが、夏場のせいか鬱蒼とした藪が立ちはだかり、こちらは入る気になれなかった。