歴史薫る厳嶌神社参拝へ!
厳嶌神社の特徴
厳嶌神社の階段はコンクリート製で、安全性が高いです。
新しくなった手すりがあり、参拝時も安心して利用できます。
駐車場は路肩に停める必要があり、気をつけて訪れましょう。
駐車場は路肩へ停めることになります。階段が新しくコンクリートで手すりが付きました。以前よりは手入れもしてあり、何時までかは分かりませんが街灯も点いています。ちなみに山の反対側にも神社があります。龍神社です。昔はここら辺から先は海だったそうなのでその名残りであるのかも知れません。毎年9月2(3かも)日は土俵で子供相撲があってたそうです。今は地区の方が手入れをされており土俵だけ作られてるそうです。
【月 日】2020年12月19日【駐車場】無し(路肩)【トイレ】無し🔷宇土市笹原町の厳嶌神社に参拝しました。小さな神社ですが良い神社です。
階段がコンクリートになって手すりが新しくなりました。
宇土市笹原町の歴史と厳島神社現在の宇土市笹原町は、慶長十年(1605年)頃に作成された「慶長国絵図」には「榛原村」と記されており、加藤清正が肥後国を統治していた時代にはすでに集落があったと考えられています。江戸時代の地誌「肥後国誌」には、この地にあった才天堂が天神宮を合殿に祀っていたと記されています。この才天堂は、現在の厳島神社・菅原神社・水神、そして山の上の神社から成っており、創建時期は笹原の集落ができた頃だと考えられています。明治時代の初めの神仏分離政策により、才天堂の本尊である弁財天は、神社の姫神である市杵島姫として祀られるようになりました。これにより弁才天堂は神道的な神社に改められ、厳島神社と名を変えました。弁財天は水の神、音楽の神、そして七福神の一人として信仰を集め、農業神として水辺に祀られることが多い神です。現在、厳島神社内には白い風に乗った荼吉尼天(だきにてん)が祀られており、弁財天と同一視されることもあります。これは稲荷大明神(宇迦之御魂)の仏教的な姿であり、元々山の上の稲荷神社にあったものが移されたのかもしれません。境内では毎年11月に、五穀豊穣と子孫繁栄を祈る「亥の子祭り」が開催されます。これは旧暦10月の亥の日に行われる、農作物の収穫を田の神に感謝する祭りです。また、菅原神社の祭神である天神は、もともと雷神でしたが、菅原道真公が亡くなった後に発生した災害から、道真公が雷神と同一視されるようになりました。この集落の約5mもある大太鼓「あくしゃ丸」は、この神社での雨乞いに使われたと考えられています。この地域の神社には、創立の古さを感じさせる農業神としての性格が強く残っており、地域の人々によって大切に祀られています。
無人社荼枳尼天が奉られている。
| 名前 |
厳嶌神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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宇土市にある神社で、57号線より住吉中学校方面に入っていた先にあります。駐車場はありませんでした。厳嶌神社は・旧弁才天堂・菅原神社・水神、さらに山の上の神社からなっているようです。時間がなく山の上のほうは断念しました。掲示された案内板によれば、神社の創建の時期は、はっきりしていないが、笹原の集落ができた頃であるとの事。おそらく1600年代くらいだと思われます。はじめは弁才天※を祀っていましたが、明治初めの神仏分離政策によって、本尊の弁才天は、神社の姫神 市杵島姫として祀られ、弁才天堂は神道的な神社に改められ、厳島神社と呼ぶようになりました。無人社ではありますが、本堂内には荼枳尼(ダキニ:梵語のダーキニーを音訳したもの)像と天神像(菅原道真公)が祀られており、良い雰囲気に包まれた神社だと思いますよ。※弁才天はインドの河の神が仏教に取り込まれたもので、水の神・ 音楽の神としての性格を持っている。もとはヒンドゥー教の神様です。弁才天は、農業神として川 や池など水辺に祀られることが多く財産の神様の一面もある事から、のちに七福神の一人として崇められ弁財天と書かれるようになった。