鬼官兵衛の足跡を訪ねて。
西南戦争 佐川官兵衛討死之地碑の特徴
佐川官兵衛が奮戦した地で、歴史を感じる石碑がひっそりと佇んでいます。
西南戦争の熊本の戦いを記念する重要な史跡で、訪れる価値があります。
地震の影響を受けた土地に残る、歴史的な背景を持つ場所です。
三月十八日 二重峠の薩軍を攻めるため現在。記念館のあるとこから177号線をすすみ、途中で現149号をすすみ、赤水をこえて…のルートの途中でこのあたりまで進んだところで、薩軍の兵と戦闘になった…んだよ。で、みりゃわかるが、二重峠はこの先の谷の向こうやで…二重峠に向かう道なんだここは。で、史書や現地行ってない人が「二重峠付近で」書いてるけど…スケールの差か、阿蘇をろくろく知らんと書いたんかな…って気ぞする。なんでもいい。有能な士が、薩軍もそうかもだが、ここで散ったのだ。無礼なきよう。
会津の旗?、破れてて、少し寂しい気持ちになりました。熊本地震の前は、8基だったのですか?、寂しい、時代の流れと共に風化させないようにして頂きたいです。
かつては「西南の役公園」として、・南郷有志隊之碑・西南役慰霊碑・鬼官兵衛惜哀賦・西南戦争豊後口警視隊戦死者之碑・佐川官兵衛殉難之地・薩軍故山恋哭碑・佐川官兵衛塚(首塚)・佐川官兵衛討死之地と8基の石碑が立ち並ぶエリアでしたが、2016年4月の熊本地震でこの付近は地盤そのものが崩れ、これらの石碑も破壊や倒壊の憂き目に会い、現在は復元されたものを含めて4基のみが南阿蘇の台地に建っています。以下、「会津藩家老 佐川官兵衛殉難之地」碑文より-----------------------------------------------佐川官兵衛略歴官兵衛諱は直清通称は官兵衛天保二年会津城下に生る 文久三年藩公の京都守護に従い別撰組隊長たり慶應三年王政復古令下るや藩公に帰国を勧むれど容れ□れず大阪に下る 同四年正月前将軍朝廷に奏上せんとし君第二陣に将たり 戦利無く藩公を追うて江戸に帰る 七月長岡藩総督を援け長岡城を恢復し会津に帰って家老を拝す 籠城中城外に於て敵を襲い一藩降るも兵を解かず藩公の懇諭により始て鋒を納む 後朝廷其勇を知り警視庁大警部に任じ明治十年の変起こるや桧垣直枝に從い豊後より進み奇策を献するも用いられず三月十八日此地に於いて隊士二十五名と共に壮烈な戦死遂ぐる 享年四十七 里人鬼官兵衛と敬称す会津 相田泰三撰文明治百年記念 昭和四十三年十一月-----------------------------------------------以下、「薩軍故山恋哭碑」碑文より-----------------------------------------------流血の大河の彼岸累々たる屍山の彼方にしか近代日本の誕辰が在り得なかったところに明治十年西南役に巻き込まれた官薩両軍将士をはじめ無辜の民衆の悲劇があった 尓来九十有八年 今日の平和と繁栄を慮り先人の霊魂に満腔の謝意を表し謹んで冥福を祈ると共に祖国久遠の弥栄並びに真の世界平和の招来の一日も早からむことを念じつゝ有志の賛助を得て此の石ぶみを建立す----------------------------------------------
少し前までは石碑の幾つかは他の空き地に重ねて置いてあって、そのうちに新しく造られるのかなと思いつつ、気掛かりだった。今は綺麗になってて、良かったです。
会津藩の鬼官兵衛こと家老の佐川官兵衛終焉の地です。佐川官兵衛は明治維新後、警視庁に出仕。西南戦争に従軍します。そして、この地で銃弾に倒れ戦死しました。この場所、非常に分かりづらいです。案内等出ていないので、地図をたよりに行かないといけません。
ひっそりと佇んでいます。付近は熊本地震で山が大きく崩壊した地域になりますが、碑は無事です。
場所がわかりづらい。災害の為か壊れていた。
西南戦争の阿蘇の戦いで薩軍にたいして戊辰の戦の雪辱を晴らすため政府軍抜刀隊として参加され奮戦された、鬼官兵衛こと会津藩家老佐川官兵衛公御最後の地です。熊本地震で倒れた碑が再建されていますが工事現場の事務所の脇で解りずらいですし、鬼官兵衛終焉の地としては寂しい限りの様相です。
南阿蘇村高野台団地内にありますが熊本地震の影響で土地だけが残っている状態になっています。
| 名前 |
西南戦争 佐川官兵衛討死之地碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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近くの貸別荘に宿泊しグーグルマップで偶然見つけました。そしてYouTubeで佐川官兵衛という方の生涯を初めて拝見し感銘を受け参拝させていただきました。現代はこういった歴史の経緯を蔑ろにしがちですが令和3年に新たに建設されていたのはうれしいですね。近くにあるはずの西南の役慰霊碑は取り壊されたのか見つけれなかったです。色んな立場はあれど日本の未来の為に命をかけられた全ての英霊に感謝です。