樹齢1200年の久保桜、感動の古木!
伊佐沢の久保ザクラの特徴
樹齢1200年の古桜が存在し、歴史を感じられる場所です。
坂上田村麻呂が植樹した桜は、感動的なストーリーを持っています。
枯れる寸前の久保ザクラの姿が、自然の厳しさを物語っています。
2026.4.12訪問。名称は元々知っていましたが初めて行きました。かつては大きなエドヒガンの木でしたが樹齢1200年の古木故に、何とか部分的に咲かせているというような状態。周囲のソメイヨシノの方が目立つ印象。久保桜ガイドの方の話が聞けたのは良かったと思いました。
メインの大桜にはあまり花はありません(老木のため)ですが周りの桜が見事です。
20250417(樹齢約1200年)置賜さくら回廊 久保桜主幹の内部はほぼ空洞になり、四方に広げた大枝は多数の支柱にささえられているが、可憐な淡紅色の花をいっぱいつける名木。また、薄墨桜の実生木もある。
老樹ではあるが、かつてはほかの老桜と比べてすこぶる樹高があって壮観さを誇ったのが特徴だったけど、現在樹勢が衰えて回復処置が施されている状況。来歴:『久保桜、窪桜、お玉桜などと呼ばれている。昔から著名の桜で文化年中の風土記米沢名選に「其の樹枝東西に播ること14,5間」とあり,天保弘化の頃には枝張りが4反歩(約0.4ha)を蔽い,四反桜の名があったという。延暦16年に坂上田村麿が奥羽を鎮撫のためこの地に来た時にこの地の豪族久保家の娘玉と妹脊の契を結んだが,田村麿が帰京した後,玉女は田村麿を追慕の余り遂に病んで死んだのであった。田村麿が後にこれを知って再びこの地に来た時に,1株の桜を植えてその霊を慰めた。その桜がこの樹であるとてお玉桜とも呼ばれている。久保桜もこれに基くものであるという。一説には昔,桑島氏にお玉という美しい娘があり、早死したので本樹を植えて墓木にしたのでこの名があるともいう。花時には米沢藩主が来観し,樹下1反歩余(0.1ha)の土地は維新の頃まで無税地であったが、のち桜の木と共に民有となった。今から80年ばかり前に空洞内に人がはいって失火したため、幹の東側の外壁が欠損するに至った。古株で樹勢が相当老衰しているが、数十本の支柱に支えられながら,満開のときは壮観である。宝永5年4月7日に写生した久保桜の古図があり,また天明6年米沢藩士莅戸善正の「遊伊佐沢記」一篇があって、この桜のことが書いてある。エドヒガンの巨木として有数なものである』。(「日本老樹名木天然記念樹」、帝国森林会、1962年)
樹齢1200年、坂上田村麻呂が蝦夷討伐した際に植樹した5本の桜の一つらしい。幹太くかなり立派であるが再生中である。再生の成果からか新しい枝はできており花も咲いてます。年数経つとまた違った感じになるかもしれません。※桜は年数経つと幹の中央が朽ち果て裂けるらしいが不定根ができ幹が再生される。こちらの桜は不定根ができない状態である。福島県石川町の高田桜も同じ処置とられてます。
約千二百年前の桜です。
相変わらず痛々しいですが…1300年も生き続けてきた事に感動です。今年も満開になりましたね。
伊佐沢の久保ザクラは枯れる寸前、新しい樹がどこまで頑張りるかですね!子供の桜が小学校で🌸咲いてますから、何は植林されるのかな?
樹齢1200年の古桜です。少しでめ永く生きてくれる事を願います!2023.04.10撮影。
| 名前 |
伊佐沢の久保ザクラ |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0238-82-8017 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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大分樹木は傷んでいますが桜は咲いてました。