歴史が息づく牧野城跡の魅力。
牧野城跡の特徴
歴史的な観点からも興味深い牧野城跡の立地です。
牧野家の歴史を感じる貴重な城跡が残されています。
四代将軍足利義持による歴史的背景が魅力のひとつです。
戦国時代に東三河で勢力のあった、牧野氏一族の最初の城が、この牧野城跡です。築城は応永年間(1394〜1428年)といわれていて、その頃に牧野古白の父、田口成富が四国讃岐から三河国中条郷牧野に移ったということです。明応2年(1493年)古白は一色城(豊川市牛久保)の波多野全慶を討ち、瀬木城を築きます。その時に氏名を牧野に称するようになったとか。その後、永正2年(1505年)に、今橋城(後の吉田城)を築き居を移します。この牧野城は同じ年に廃城になったと伝えられています。今でも、土塁が残っています。その上には「牧野城址」の標柱が建てられていて、歩けるようになっています。ただ、登り口が分かりにくいので、あきらめる人もいそうです。南側は民家に接しているので、注意が必要です。また、北側も広場になっているのですが、コスモスを植栽されているようで、入りにくいです。わたしは、北面、東側の縁を伝って城址跡の石碑まで行きました。
牧野一族の城ですが、圃場整備事業で土塁の一部のみ残し消滅。しかし、残った土塁の一部でも大きくりっぱなものです。
牧野まっきんは牧野古白の子孫になります群馬から一度は見たくて来てみました私にとっては牧野家ゆかりの大胡城、長岡城、とならぶ城跡です。
遺構は農地の中にポツンと土塁がわずかに残るだけです。東三河の有力国人領主である牧野氏により築城されたと考えられています。
2020年11月2日行って来ました。行き方Googleナビで牧野城跡にセットすると行けます。駐車場無しです。但し交通量は多く無いので路駐で大丈夫です。感想周りはビニールハウスだらけですが良く残してくれたと思います。
小高くなっている角の部分だけ残っています。城跡と言えば城跡かなと。発掘調査の結果、ここにあったということだけは確かなようです。
周りはビニールハウスここだけ残しておいてくれてありがとうございます。
●室町期の城跡応永年間(1394~1428)、四代将軍足利義持の命により、四国讃岐から三河国宝飯郡中条郷牧野村の地頭として移ってきた田口伝蔵左衛門成富。彼はこの牧野の地でこの城を築き、名を牧野に改めている。かつて豊川の川筋はこの城の西側を流れていたという。その自然堤防上にこの城は築かれている。今となっては南側の土塁をわずかに残すのみである。
場所が解りにくい。ルーツ探しで来ました。
| 名前 |
牧野城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP |
https://www.mito.or.jp/mito-intro/toyokawahistory/1east/4-1-10 |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
|
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歴史的に位置や周りの地形も考えて作られたと感心です。