懐良親王の歴史、心に響く。
中宮山 悟真寺の特徴
懐良親王の墓があり、歴史を感じる場所です。
鳥居からの眺めは絶景、街が一望できるスポットです。
征西大将軍宮良成親王ゆかりの寺院、由緒あるお寺です。
1160 (永暦元)年の妙見中宮創建後、懐良親王も参籠した天台宗の神宮寺・護神寺が創建。1390 (元中7)年、 良成親王の命により菊池武朝が懐良親王の御墓と菩提所・悟真寺を護神寺に創建。曹洞宗に改宗。 戦国期には末寺80余寺 を数える大寺に発展。 相良為続代に七堂伽藍を再建。 当時の三重塔の心礎が御墓前に残る。1602 (慶長7)年、現在地に復興し、本堂などを再建。
懐良親王の墓の手前にあるお寺。
懐良親王陵墓で満足しないで登ると此方の寺が、色々御物かわ有り菩提寺の筈が何か不自然さがというのは下の感想にある通り小西行長の廃仏毀釈や後の尊王運動により再建された物が大部分で当時の物でないにせよ像と直筆位牌は懐良親王の人となりを連想する上で代りがない貴重な物の筈が確たる史物でない?取敢えず敷地内に管理してるらしき人が住んでいて挨拶、住職はいない感じ、徳富蘇峰?らしき石碑文有り。
ここの鳥居から見下ろす街の景色は最高です。静かで人も少ないのでおすすめです♫
征西大将軍宮良成親王は、元中7年(1390)9月宇土城が陥落したので菊池武朝を従えて高田の征西府に来られ、その後、武朝に命じて懐良親王の御墓前、元護神寺のあった所に親王の菩提寺として悟真寺を建立させられた。寺号は、ご法名「悟真大禅定門」から悟真寺と称した。開基は大原孚芳で、曹洞宗永平寺の末寺である。天正15年(1587)秀吉は島津征伐のため古麓城に入城、その時、秀吉は八代に五泊した。天正16年秀吉より肥後南半を与えられたキリシタン大名の小西行長は、寺社焼亡破却の強硬手段をとり、この兵火により宝物や建物すべて消失、寺領も没収されたが、加藤清正の代になってから中宮山中腹の現在の場所に移して再興された。境内には御霊殿があり、懐良親王御自筆の御両親の御霊牌が奉安してある。御霊牌は表面に「登霞後醍醐天皇」「遷化霊照院禅定尼」、裏面に「延元四年八月十六日崩御」「正平六年三月二十九日入滅」と陰刻してあり、高さ32.1cm、幅11.9cm、雲煙文様の頭部と台を含めると総高56cmである。『ふるさと宮地』より。
| 名前 |
中宮山 悟真寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0965-34-8201 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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曹洞宗永平寺の末寺です。征西将軍懐良親王の菩提寺で肥後守菊池武朝の命を受けてつくられました。懐良親王の法名「悟真大禅定門」から寺号を悟真寺とし1390年に現在の御陵墓前に諸堂を建てました。小西時代に破却にあいますが、加藤時代に現在地に再興されます。境内に親王御真筆のご両親の霊牌を安置する御霊殿ごあります。