吉村虎太郎の歴史体験。
天誅組吉村寅太郎原瘞 (げんえい) 處の特徴
吉村虎太郎の最初の葬場がここにある、歴史を感じる場所です。
文久三年に起きた出来事を今に伝える、大切な史跡です。
村民が関わった埋葬の背景を学べる貴重なスポットです。
吉村虎太郎は土佐藩津野町出身。檮原で庄屋をしていた時は年貢の半減や、備蓄の為石の金庫を作るなど民を守る多くの治績を残している。土佐で一番目に脱藩しており、難所の関所も武具を調えて馬に乗り薩摩の使者であると偽って堂々と関所を押し通ったとされている。この影響を受けて数日後、坂本龍馬も脱藩した。天誅組の変では足を負傷し、担いでくれる村人に「辛抱せよ、辛抱せよ、辛抱したら世は変わる、それを楽しめ。」と、何度も言ったという。亡くなる時、重症だったが仁王立ちで銃弾を受けた?という話も残っている。当時村人により、吉村虎太郎の墓が築かれ墓を参ったところ足が良くなったとの噂が広まり、「天誅吉村大神儀」と呼ばれて参詣人で賑わったそう。山間部の薄暗い場所だが、亡くなった後も人を思いやる吉村虎太郎の優しさに包まれたような気がする。
文久三年九月二十七日に藤堂藩から銃撃を受け死亡した虎太郎の首なき遺体を村民の手によってこの岩根に埋葬される。明治二十九年三十三回忌にあたって明治谷に改装されている。この地は元埋葬地であることを示したものとして石碑がある。
吉村の遺体は村人の手によってこの岩の根元に埋葬された。明治29年(1896年)明治谷墓所に改葬されたあとは、この碑は原瘞の碑として吉村を偲ぶ記念碑となる。
| 名前 |
天誅組吉村寅太郎原瘞 (げんえい) 處 |
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| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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吉村虎太郎が葬られた最初の場所(原瘞處)。どれだけ無念だったかは辞世の句で表現されてますが高知の芳生野にも音が似ている東吉野村、山深い場所に産まれ山深い場所で亡くなったのは彼の天命だったのか、と思わされます…。余り維持費が足りないのか、碑は苔むして読めずボランティアのおじいさんが周囲を掃除してました。