貴重な史跡と大友氏の謎。
円台寺廃寺跡(薬師堂)の特徴
薬師堂は貴重な史跡で、訪れる価値があります。
地元の方々の熱意を感じる案内が魅力的です。
離れた場所にあるため分かりにくいですが奥深い歴史があります。
菱形八幡宮や磨崖仏は、案内も良く地元の方々の熱意が感じられますが薬師堂は離れてるので分かりにくいですね。全体としての管理をお願いします、ここから三の岳までの経路も含めて小学校の校歌にも歌われているのですから。
写真は撮ってませんが、中にある物は本当にいいものだと思います。県や市で予算出して保存してほしいと思いました。
貴重な史跡です。が、荒れてます。十二神将がやばい!
| 名前 |
円台寺廃寺跡(薬師堂) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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何故大友氏の建立した寺が肥後にあるのか。まず時代背景を見て行く。平安時代、飽託郡(熊本市・合志の一部)一帯は鹿子木荘と呼ばれる巨大な荘園であった。東寺百合文書『鹿子木荘条々事書』に中原高方が所有する荘園という文書が残っている。この中原高方を通じて鎌倉時代 中原親能(源頼朝の重臣)に継承されたようで鎌倉時代中期以降になるが下記の様に鹿子木荘に中原氏系の氏族が所領を得たとされる。鹿子木荘西部には親能の子 中原師員の子孫が入り(鹿子木氏)、鹿子木荘東部の託磨郡には親能の猶子 大友能直(大友氏初代)の子が入った(詫磨氏)。円台寺に話を戻すと、案内板には大友氏初代 能直による建立と書かれている。大友能直は1206年に豊前豊後国守護&鎮西奉行となり大分をを中心に統治するようになった。それに併せて上記のように同族の中原氏系が鹿子木荘一帯に入ったことで円台寺の建立に繋がったと思われる。豊後国に多く見られる磨崖仏の存在、菱形八幡宮の存在など大友氏の影響を裏付けるものが数多く存在する。まとめると大友氏とその支流 詫磨氏、また同じ中原氏を祖先とする鹿子木氏 といった豊後大友氏グループの影響を肥後で見られる貴重な場所である。なお1193年銘の石塔もあることから円台寺前にも前身となる寺があったのかもしれない。その後、円台寺は南北朝時代の混乱期を経て衰退したようだが、室町時代~戦国時代初期の1468年に再興されている。この時期でいえば1465年に大友親繁と菊池為邦が筑後国守護職の座を巡って高良山周辺で戦闘を行い、菊池氏が敗北し筑後国守護職を失っているので関係があるのかもしれない。その後、菊池氏の衰退は顕著となり、菊池政隆を最後に菊池氏本家は途絶え、家臣であった国人らをまとめることが出来る人物がいない状態に。菊池氏の衰退に合わせて大友氏は肥後への影響力を強めており、大友義鑑が弟の義武を菊池氏当主にすることで肥後は大友氏の支配下となった。その際には鹿子木氏が菊池(大友)義武の補佐をしており義武は鹿子木氏築城の隈本城を本拠としている。肥後国を手中に収めた大友義鑑により1526年 円台寺が修造された。恐らくこの時が一番大友氏の支配力は強かったと思われる。建立・再興・修造の背景はそれぞれこんな感じだろうか?また比叡山延暦寺の末寺ということで山岳信仰の寺であったと思われる。ここを出発点にして三の岳 二の岳 金峰山と登っていたようだ。自分用メモなので間違ってたらすいません。