由緒ある阿蘓神社に立ち寄り。
下津原阿蘇神社の特徴
由緒書きの看板があり、歴史を感じる場所です。
鳥居に刻まれた阿蘓神社の扁額が見どころです。
様々な記録を比較し、興味深い歴史が窺えます。
県道6を山鹿へ向かい途中三差路の右から集落へ入る。中程過ぎた所に右への脇道があり、脇道を進むと林の中に神社は鎮座している。神社の由来等の説明文は境内に掲示してある。第一鳥居から第二鳥居までは距離があり、前後から上る二ルートあるので注意。密教的神社の神秘さと阿蘇神社の醍醐味を感じる神社である。第二鳥居を過ぎると50段位の石段、林の中の参道を進むと御社が見えて来る。御社前の2本杉は阿蘇地方の神社でよく見かける風景。神紋付の阿蘇神社の社号標の横、妻入りの御社となる。古さを感じさせる向拝であり、中の天井絵、奉納絵、歌仙人等地域の方々の神社への思いを感じる。今のように重機のない時代に山を切り開きこの神社を造ったと思うと感動である。地域の方により守られ引き継がれてきたそれぞれの神社の良さを感じる。
2025年3月追記由緒書きの看板があるが菊水町史の記述と相違がみられるため比較のため↓「下津原 字 宮の本に鎮座。祭神は健磐龍命。推古天皇甲寅の年(594年)、阿蘇惟運は吉田河内守藤原と東郷県庄の大池で会見。八岐大蛇より三種神器を授けられ、東郷河畔の「ひのきさん」の傍に大龍権現として祀った。惟運は二子惟康を神主として東郷四百余町の守り神とし、惟運の孫 惟重の代の天平15(743)年、阿蘇十二神を合祀した。祭礼は11月10日、夜神楽が奉納される。」※東郷はこの一帯の地名で明治頃には東郷村があった。また「ひのきさん」については近くの菊池川沿いにある「飛尾大明神社(ひのきさん)」を参照。これを念頭に由緒書きを読むと、下津原の檜山近くの大池に剣と鏡(三種神器)を持った大龍(八岐大蛇?)がおり吉田(阿蘇?)惟運に神器を渡した。その際、大龍は「私は神武天皇の第二皇子(健磐龍命の父)です 阿蘇に現れていましたが今度はこの霊地に現れました」と言って池の底に消えた。惟運は一揖なして(一礼して)離れると大雨が降った。雨が落ち着いてから檜山に再度向かうと三十余丈(90m位 文は誤字?)の巨大な檜があった。巨木なので朝方は西側が、夕方は東側に大きな影ができた。夜中には檜の先が妖しく光っており朝方には西へ飛び夕方には戻ってくる。その光は赤い布が長い尾のようにたなびくのに似ており、そこから飛尾大明神と呼ばれるようになった。そして665年に池の近くの檜山に祠を建て、743年に阿蘇十二神を合祀した。という感じだろうか?近くにある飛尾大明神社・竜王神社とは関係の深い神社と思われるので合わせて見た方が良いかもしれない。余談だがここより西方の山中には古墳が多くあり古くから人がいたのは間違いなさそうなので由緒書きの信憑性は兎も角として歴史は古そうだ。見所は狛犬獅子がブロンズのライオン神社本庁のデカい看板があるので☆-1
| 名前 |
下津原阿蘇神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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鳥居の扁額を見ると「阿蘇神社」ではなく「阿蘓神社」(※ソの漢字が違う)。何か違いがあるのか?集落入り口にある鳥居(下津原2897)からではなく、集落の中に入って観音堂?の脇の道をさらに山中へ進む。左手に墓地がある、その先に鳥居がある。社の向きからするとこちらの鳥居が正面にあたるのかな。こじんまりしているが、社殿の彫刻が素晴らしく、また拝殿の絵馬や天井が素晴らしかった。狛犬がブロンズのライオンで台座は洗い出し。たしか昭和初期の奉納日が彫ってあった。奥地にあるのに手入れがされている感じがした。下津原神楽が奉納されるらしい。肥後神楽のひとつとして菊池川流域日本遺産の構成文化財になっている。いつか見てみたい。もっとゆっくり見たかったが、本日は蚊対策をし忘れたので早々に退散。