歴史感じる石藤崎八幡宮。
石藤崎八幡宮の特徴
承平5年に創建された歴史深い神社です。
朱雀天皇による別宮の勧請で訪れる価値があります。
県道沿いと広場にある二ヶ所の鳥居が印象的です。
石藤崎八幡宮は、菊水ICの北東9.7kmほどの熊本県山鹿市石に鎮座している神社です。旧社格は村社です。平安時代の承平5年(935年)61代 朱雀天皇の時、平将門が逆心したため、朝廷より追討を勅願があり、山城国男山の石清水八幡宮より、橘能貞(山城家の祖先)が別宮に勧請しました。此の時、男山の藤を切り、神馬の鞭を作り神輿を守護し奉り、同年、当地に御下着され、馬の鞭に使っていた藤の枝をこの地に指し神殿を造り始めました。その藤の枝は、神殿が出来上がる前に芽を吹いたため、神社名を「藤が先」として藤崎八幡宮と称し、その藤を御神木としました。同じく熊本にも石村と同じように神殿の前に突きさして藤が根付いて成長したので、そこを熊本も藤崎と呼ぶようになったそうです。石村には、藤崎八幡宮の分霊を祀って、弟の橘能政を神職としました。石村から熊本へ遷座するとき能貞のほか、十二人の社家がお供しました。この例にならって、熊本藤崎八幡宮の大祭には、京都からのお供をして能政を一緒に石村に住み着いた騎士と地元の名家が十二士となって、石村八幡宮の前を流れる岩野川の棚田の淵で、身を清め熊本に行き、藤崎八幡宮の「一の宮」の神輿を担ぐのがならわしになりました。ちなみに、石清水八幡宮は皇室との繋がりも深く、例大祭には、天皇陛下もご参拝なされ、源頼朝 は出陣の際には、必勝の祈願を欠かさなかったと言い伝えられる由来に基づき、当八幡宮も今では、スポーツ大会などの必勝祈願の参拝があり、戦の神様・勝負の神様として崇敬されています。御祭神は、応神天皇(譽田天皇)・神功皇后です。境内神社として、菅原神社(菅原道真公・学問の神様)・若宮神社(仁徳天皇・家畜の神様)です。毎年4月になると御神木のフジが満開の花を咲かせ、藤棚から薄紫色の花房が無数に垂れ下がり、彩りと香りが訪れる人を魅了します。神社のある「石(いし)」という地名は、かつてあった肥後熊本藩の山鹿郡(やまがぐん)石村に由来します。明治22年(1889年)石村・熊入村・下吉田村・名塚村・杉村が合併して、八幡村が発足しました。明治29年(1896年)鹿本郡(かもとぐん)八幡村が発足しました。昭和29年(1954年)八幡村・山鹿町・米田村・川辺村・平小城村・三岳村・三玉村・大道村が合併して、山鹿市が発足しました。平成17年(2005年)山鹿市・鹿北町・菊鹿町・鹿本町・鹿央町が合併し、改めて山鹿市が発足しました。石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、京都府八幡市の男山(標高約142m)山頂に鎮座する、日本三大八幡宮の一つに数えられる名社です。平安時代初期の天安3年(859年)清和天皇の命により、宇佐神宮(大分県)から八幡大神を男山に勧請したのが始まりです。平安京の裏鬼門(南西)を護る国家鎮護の社として、皇室や公家から篤い崇敬を受けました。
山鹿から平山温泉へと向かう195線沿い左手。いつも通りすぎてしまっていましたが、6月下旬藤の花が見頃となっています。近場でゆっくり見られます。
参拝させて頂きました。石藤崎八幡宮(いしふじさきはちまんぐう)境内が駐車場になっており、すぐわかるかと思います。社名の由来は藤の枝を差して神殿を造り始めたところ、完成前に芽がでたため、神社名が藤が先(崎)八幡宮。熊本の井川淵町にも秋の例大祭で有名な藤崎八幡宮があります。そして鳥居に見つけました藤崎八幡宮の文字!参拝後に社務所に向い神職様より御朱印(初穂料500円)を揮毫下さいまして、それから立ち話を30分(笑)近年神職様が代替わりしておりまして、普段は神職様と「ようこそお参り下さいました、どちらからお参りですか?」位しかあまり話さないので、今後の寺社仏閣のあり方や、石藤崎八幡宮をどう盛り上げて行こうか?「いやいやダンナあそこの神社はこんな事してますぜ...(密告)」などの話で盛り上がり楽しい時間が過ごせました。神職様はSNSもされており、境内整地など日々奮闘されております。陰ながら応援しています。ありがとうございました🙏
はじめて参拝させて頂きました…楼門立派で…歴史を感じる本殿、時期は外れておりましたが立派な藤棚もありました✨宮司様より気持ち良く御朱印対応して頂き…次回は藤の季節に是非参拝させて頂きたいです。
R3で八幡小付近で左折し耕作地の間を進み、県道195に入り上ると左手に神社は鎮座している。由緒・由来は境内に掲示してある。御祭神は応神天皇、神功皇后とあり、境内社は菅原道真公、仁徳天皇とある。道沿いの第一鳥居の台輪鳥居と奥に第二鳥居がある。藤棚の傍に神の案内人である猿田彦大明神の石碑が多く鎮座している。菊池地方の神社でよく見かけるが地域のスタイルの一つだろうと思う。第二鳥居からの随身門に架かる大根注連縄がすごい。御社の前には八幡神社の神使である鳩の石像が石灯篭群と伴に置かれている。御社は妻入りで向拝には大注連縄が架かっている。境内の広く落ち着いて参拝のできる神社である。
楼門も立派です。背の高い木々や、藤棚も凄く良い感じでした。以下引用させて頂きました。石藤崎八幡宮(山鹿市石)石藤崎八幡宮藤崎八旛宮 といえば、例大祭で有名な熊本市の神社ですが、山鹿市には石に、藤崎八幡宮 があります。その違いは「幡」と「旛」。どちらも立派な神社です。こちらは、藤崎八幡宮 と一般的な幡を用います。今では石藤崎八幡宮と呼ばれているようですが、ここが、熊本市の藤崎八旛宮との関係性が非常に深いような気がするのですが、実際はどうなんでしょうね。石藤崎八旛宮の楽しみ方1000年を超える歴史と謎のある神社風格のある随神門や能楽殿美しい藤棚石藤崎八幡宮 の 御由緒創建は承平5年(935)朱雀天皇が平将門の乱を鎮めるために京都の石清水八幡宮の橘能貞に命じて別宮を勧請することになった。橘能貞は石清水八幡宮の藤の枝を神馬の鞭として、神輿をしっかり守りながらここに到着。承平5年10月15日。藤の枝をその辺りにさして神殿を造り始めるが完成より先に藤の花がさき始めたので、ふじがさき、藤崎八幡宮と呼ばれるようになったそうです。実際に境内には藤棚がありました。季節を選んで参拝すれば見事な藤の花を楽しむことができることでしょう。しかしこうなると熊本市の藤崎八旛宮とのつながりがよくわからないですね。気になるけど知ってる方いますか?石藤崎八幡宮 の 御祭神應神天皇(誉田別命)・神功皇后境内社の菅原道真・仁徳天皇石藤崎八幡宮 のアクセス〒861-0553 熊本県山鹿市石駐車場:あり。
フジの花満開奇麗コロナ収まってるのに飲食伴う飲食禁止だって。
創建は承平5(935)年、朱雀天皇が平将門の乱を鎮めるために京都の石清水八幡宮の橘能貞に命じて別宮を勧請との事。恐ろしく長い歴史を持つ神社。正面の鳥居は倒壊していたので、県道195号線沿いの鳥居が神社の裏側になるが一の鳥居になるのかな。鳥居の貫に八幡宮の藤の紋があり珍しい。立派な楼門を抜けると鳩を頂く石燈籠があるが、鳩は拝殿に向かって『八』の字に止まっている。佐賀県玄海町の値賀神社に何かの鳥が付いた石燈籠は見た事があったが、鳩は初めて。鳩は「八幡様のお使い」ともいわれているそうな。参拝の目的は、倒壊した鳥居の前に架かる神橋で、架橋は明治初期。何かの記念碑の台座の石積みも大変変わっていて、何という積み方かを調べるが分からない。隅の部分から『算木積み』でいいのかしら?
平山温泉へ行く道中、車を走らせていた時に目に留まり立ち寄りました。立派な社殿に楼門もあり、何処と無く阿蘇神社に似た雰囲気を感じました。地元の神社としては規模が大きく、綺麗に管理されている事からも、地元の方に大切にされているのがわかりました。気持ちよく参拝でき、清々し気持ちにさせて頂きました。
| 名前 |
石藤崎八幡宮 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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熊本県山鹿市石に鎮座なされています。由緒には、朝廷より平将門追討を命ぜられた橘 能貞が、馬の鞭に使っていた藤の枝をこの地に挿して神殿を造り始めたが神殿が出来上がる前に芽をふいた事から藤が先として藤崎八幡宮と称し(俗説)、その藤を御神木としたと有ります。御祭神は、応神天皇・神功皇后です。境内神社には、菅原神社・若宮神社があります。