樹齢400年の楠木が映す神々
新庄八幡神社の特徴
鍋島新庄八幡神社は、應神天皇など17柱が祀られた神社です。
敷地内に樹齢400年の楠木が立つ歴史を感じる場所です。
鳥居の前で泳ぐ大きな鯉が訪問者を迎えています。
スポンサードリンク
お正月に参拝🎍敷地内に樹齢400年の楠木がそびえ立ち、神社としては大きくはないけれど歴史を感じる神社⛩鳥居の前には大きい鯉が沢山泳いでいます🐟
スポンサードリンク
| 名前 |
新庄八幡神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
スポンサードリンク
周辺のオススメ
スポンサードリンク
スポンサードリンク
鍋島新庄八幡神社御祭神主祭神は應神天皇(おうじんてんのう)で、その他に仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう)、比賣大神(ひめのおおかみ)、春日大神(かすがだいじん)、そして**五十猛命(いそたけるのみこと)**など、合わせて17柱が祀られています。由緒・歴史当神社は、第81代安徳天皇の養和元年(1181年)に、豊前国(現在の大分県)にある宇佐八幡宮から分霊を勧請して創建されたと伝えられています。創建当時は「五社八幡宮」とも呼ばれていました。歴史上、重要な出来事がいくつかあります。* 北条時頼の祈願: 文応・弘長の時代(1260年頃)、鎌倉幕府の執権・北条時頼が西国を巡視中に当地で重病にかかった際、この神社に祈願したところ、不思議なご利益により病が平癒しました。これに感銘を受けた時頼は、社領を奉納し、御家人を置いて手厚く奉祀させたと言われています。* 龍造寺・鍋島氏との関わり: 永禄12年(1569年)に豊後の大友軍の侵攻により社殿が焼失しましたが、その後の元亀元年(1570年)、今山の合戦で龍造寺家の武将であった鍋島信生(後の鍋島直茂、鍋島藩祖)が、当社に必勝を祈願しました。彼は神社の釣鐘を陣鐘に、竹を旗竿にして夜襲を敢行し、大友軍に大勝利を収めました。* 社殿の再興: この神恩に感謝した龍造寺隆胤(龍造寺隆信)によって、天正元年(1573年)に現在の社殿が再興されました。* 鍋島直茂の崇敬: 鍋島直茂は朝鮮出兵の際にも当社で武運長久を祈願し、凱旋後には社領を寄進するなど、代々鍋島家からの崇敬が篤く、明治3年(1870年)まで毎年盛大な神事が行われていました。特徴境内には拝殿や本殿のほか、摂末社として稲荷神社や厳島神社があります。また、境内にあるクスノキは、樹高18m、幹周3.9mの立派なもので、佐賀市の保存樹に指定されています。社格廃藩置県後、明治6年(1873年)には郷社に列せられました。