歴史感じる蠣久天満宮。
蛎久天満宮の特徴
西日本の三大天満宮として知られる神社です⛩️
神社にある大きな龍樹菩薩が魅力的です
拝殿に書き置きの御朱印が数種類用意されています✨
場所がかなり分かりにくいですが、非常に見どころの多い神社です歴史を感じさせる数々の建造物、風情はもちろんですが、何より空気が澄んでいました御朱印も書置きでしたがいただきました種類も色々ありましたよ。
近くの酒造会社へ子供夫婦がお酒を買いに訪れた時に鳥居が目に入り寄ってみました。入口には丸みを帯びた狛犬が二匹、鎮座し門の扉は歴史を感じさせ、風情がありました。本殿横には左右に砲弾が飾ってあり、いつの頃のものか気になりました。本殿の裏には高さ3.6mの大仏が鎮座しておられその迫力にビックリ。途中の道幅は決して広いとは言えませんが必見の価値有りです。
素晴らしい神社様です、宮司様がお手入れをなされておりました!近くを訪ねた際は是非ともまた参拝したい神社となりました⛩️神門や肥前狛犬、境内社とそこのお狐様、見どころの多い場所です!
龍樹菩薩像にはとにかく圧倒されました。以下引用させて頂きました。蛎久天満宮(かきひさてんまんぐう)蛎久天満宮は、天喜2年(1054年)大宰府天満宮からの勧請の後、中世には龍造寺氏、近世には、鍋島氏の庇護を受けてきたという長い歴史をもちます。境内正面には石橋、石鳥居、神門が建ち、これをくぐると拝殿・幣殿、後方に本殿が建って、本殿左には龍樹菩薩堂があります。本殿は、3間社流造、銅板葺で、正面の庇を壁や建具で仕切って前室としています。周囲には縁があり高欄が付いていますが、左側面の板扉の前にはなく、ここからの出入りを考えた造りです。随所に19世紀の建物らしい特徴があって、高欄の金物にみえる文化14年(1817年)の銘が、この建物の建立年代を示すものと考えられます。拝殿は、桁行3間、梁間3間、入母屋造、正面軒唐破風付で、後方には桁行2間、梁間1間、両下造、銅板葺の幣殿が繋がります。龍樹菩薩堂は、桁行3間、梁間3間、宝形造、桟瓦葺、正面1間向拝付で、石垣を積んで基壇の上に建っています。大きな木像龍樹菩薩座像を安置する堂が神社に残されているのは貴重です。神門は、一間一戸、四脚門、銅板葺です。石鳥居や石橋もあって、神社を構成する歴史的建造物がよく残っている点が貴重です。拝殿前には、砂を円錐形に盛り上げた1対の盛砂(立砂、砂盛)があって、伝統のかたちが今に伝えられています。全体に、江戸時代の神社境内の姿をよく伝える重要な歴史的景観となっています。所在地:佐賀市鍋島町蛎久1448番地。
インスタの投稿を見て伺いました。何て読むのか分からなかったけど、かきひさ天満宮様なんですね。Googleマップのナビ通りに行ったらとんでも無く狭い道を教えられたので引き返し、別のルートで行きました。こじんまりとした神社だったけど、見応え充分でした。御朱印は書き置きで日付は自分で書くようになってました。
御盆の真っ最中でお詣りに。御朱印は書き置きにてということで。他の方の投稿にもありますが、ド迫力でした。どうぞ訪れてみてくださいませ。
道が判りにくいですが、ちゃんと駐車場も有ります。かなり古びた感じがしますが、大事にされていると思います。本殿脇に有る木製の大仏様が迫力です。
1054年に太宰府より勧請された古くからある神社で鎮西三大天満宮と呼ばれていたそうだ一説では蛎久に肥前国府があったとされていたり古くはかなり栄えていた地だったらしい戦国時代の龍造寺・鍋島氏の信仰厚い社であり1570年の今山の戦いで焼失した後もすぐに再建されている境内社には戦国時代(三瀬周辺の神代勝利が亡くなった後)に伊勢神宮から分霊した蠣久大神宮もあるなにやら伊勢神宮より分霊した社は日本でここだけらしい豊臣秀吉の九州平定の後に鍋島氏が佐賀城周辺に拠点を移した際に蛎久天満宮の下宮の北面天満宮なども一緒に移された長々書いたが、そんな由緒ある神社の天井絵がこれはもう立派立派佐賀を中心に活動している中国人画家によるもので肥前国一宮與止日女(よどひめ)神社にもこの方の天井絵が奉納されているこれが無料で見れるなんて贅沢すぎると感動(賽銭を奮発しました)木造の巨大な菩薩像などもあり面積こそ小さいながら非常に素晴らしい場所だった文句なしに☆5
ちょっと寂れた良い雰囲気の神社。
| 名前 |
蛎久天満宮 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0952-30-6499 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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見応えがある神社です。すばらしい!