開成丸の石碑で歴史探訪。
造艦碑の特徴
江戸時代末期に建てられた開成丸の記念碑です。
三浦乾也の功績を称える石碑があります。
見学に最適な静かな環境で記念撮影が楽しめます。
【スポログreview#1832】記念撮影。
2026.05.12江戸時代の末期1857年、仙台藩は東北で初めての西洋型軍艦「開成丸」をつくり、設計指指導にあたった三浦乾也の仕事が藩主にたたえられたことを記念し、石碑が建てられた。1868年には榎本武揚率いる幕府艦隊が浦戸諸島へやってきて分宿している。当時の中心地は寒風沢島なので榎本武揚もここにいたことだろう。
みんなに知って欲しいです。
| 名前 |
造艦碑 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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2026年5月10日の早朝に見学しました。今回の旅の目的地である造艦碑を確認できました。寒風沢港は、江戸時代に仙台藩の御城米(年貢米)を江戸に送り出す中継地として重要な港でした。河村瑞賢が、寛文11年1671年に東廻海運の航路を開拓します。石巻・野蒜・高城・塩竈・蒲生・閖上・荒浜といった近隣積出港から御城米を集積保管し、江戸へ廻米した港です。島内には、御城米御蔵が軒を連ねていたことでしょう。当然、御蔵会所や御穀改所が置かれ、役人が輪番制で常駐していました。この石碑のある場所が、役所跡だと思われます。安政4年1857年に仙台藩は、西洋型軍艦「開成丸」をこの地に造船所を建設して建造しました。その指揮をとったのは、三浦乾也(けんや)です。彼の功績を讃えて、この石碑が建てられました。仙台藩は、伊達政宗の時代に支倉常長や宣教師ルイス・ソテロら慶長遣欧使節とスペイン大使セバスティアン・ビスカイノをスペインに送るためにサン・ファン・バウティスタ号を慶長18年1613年に建造した歴史を持ちます。スペインの造船技術で本格的なガレオン船を建造しましたが、藩内に設計図等の記録が残されていなかったようです。その時に建造に関わった仙台藩船奉行は、秋保頼重と河東田親顕です。幕府から派遣された船奉行は、向井忠勝でした。建造地・進水地は、牡鹿半島の月浦です。鎖国政策によって大型外洋船の建造が禁止されたため、記録を焚書した可能性もあるのではないかと思いました。アン・サン・バウティスタ号は、真山日記に黒船とだけ記されているそうです。ペリー提督の黒船が来航(嘉永6年1853年)し、木造帆船から蒸気船となった幕末、独力で開成丸を建造した三浦乾也の苦労が偲ばれます。はたして、島内の何処に造船所があったのか…。興味が尽きません。