蝦夷の首長、母禮の屋敷跡。
母禮屋敷跡(奈良時代)の特徴
約1,200年前の蝦夷の首長・母禮の屋敷跡です。
歴史が感じられる貴重な史跡として知られています。
奥州市前沢生母市ノ渡の静謐な雰囲気が魅力です。
猊鼻渓からの帰り、道中にあった看板で気づきました。そういや、毎回見かけるけど、どんなかなぁ~とおもっていましたが、田んぼの中に大きい案内が立っているだけ。まあ、そんなものよね…。と、車を停めることもなく横目に眺めて通り過ぎました。詳細は他の方の口コミでどうぞ。
今から約1,200年前、この辺りの蝦夷の首長で在った母禮(モレ)の屋敷跡と伝えられた場所です。歴史上では、蝦夷征伐の朝廷軍と阿弖流為と共に戦った悪人の様に語られますが、蝦夷が平和に暮らしていた土地を領土拡大の為に攻め込んで来た朝廷軍を撃退した英雄であります❗️最期は阿弖流為と母禮は戦わず平和的な解決を望んで朝廷軍に降服するのです。征夷大将軍 坂上田村麻呂は斬首中止の嘆願をしたとの事であったが大阪府枚方市で斬首されたと伝えられる。その後、阿弖流為と母禮の二人は京都 清水寺に祀ら、現在は顕彰碑が建立されています。
| 名前 |
母禮屋敷跡(奈良時代) |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.1 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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この屋敷跡の前の県道を何度か通るたび、どなたの屋敷跡なのかなと思っていました。しかしアテルイについて興味を持ち、調べていく中で、アテルイと共に朝廷軍と戦った母禮という人の存在を知りました。アテルイに関しては本などもいろいろ出ているのに対し、母禮に関してはネットで調べても情報、資料共に圧倒的に少ないのが現状です。ここの史跡の説明文には、この辺りの首長と言われていますが、ほかに何かないかといろいろ調べてみたところ、元々は現一関市花泉町油島の貝鳥貝塚付近に住まいしていた豪族で、磐井の初代の支配者と思われるとの事です。一関市内の図書館には「磐井の英雄モレ」という紙芝居もありました。母禮の屋敷跡がここにあるのは、朝廷に追われ、花泉から当時の磐井の北端である母体に移動し、そしてこの場所に落ち着いたからのようです。母禮という名前については、いろんな文献で何人もの方が、正しくは母體(モタイ)であり、書き誤りで母禮(モレあるいはモライ)になったと書いているのが多くありました。また、奥州の図書館にもあると思いますが、岩手県南史談会発行の平成15年度研究紀要第33集に「母礼の里」という研究発表文があり、この母禮の住居跡についての事や昔母体には嫁婿やるなと言われた偏見についてなどなどとても興味深い話が書いてありますので、興味のある方は読んでみてはいかがでしょうか。