弥生時代の王墓、歴史の深み。
井原鑓溝遺跡の特徴
井原鑓溝遺跡はAD30年頃の推定地である。
天明年間に発見された歴史的な遺跡の一つだ。
水田に水を引く作業中に発見された貴重な場所。
副葬品の年代から、師升の王墓とも言われている。
説明板のみ。
あくまでも推定地です。
《北九州主要王墓の年代》井原鑓溝遺跡(=AD30年頃)この遺跡は、天明年間(1781~1788)に水田に水を引く作業中に発見された。このときの出土品は全て散逸したが、記録が残っており、その全貌を知ることが出来る。出土したのは甕棺墓一基で、その中に、破砕された後漢鏡21面以上、日本製の巴形銅器3個の他、『鎧の板の如きもの』、『刀剣の類』などが副葬されていた。巴形銅器は、その鋳型が吉野ヶ里から出土して注目を集めた。 その後、記録を整理し、27の漢鏡片から18面の鏡を復元された。それによると、これらは全て方格規矩四神鏡で、面径は12.3cmから17.6cmの中型鏡であった。漢鏡四期に分類され、後漢代の鏡が含まれないこと、形式がまとまっていることなどから、岡村氏は、王莽代に一括して入手された鏡群であるとみており、暦年代としてはAD30年頃と推定。この年代は三雲の王墓とは、数世代の差があると思われる。@古代史の復元より。
| 名前 |
井原鑓溝遺跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.itoshima.lg.jp/s033/010/020/010/140/020/itohakudown2.html |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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福岡県糸島市に位置する井原鑓溝遺跡は、弥生時代中期の王墓と推定される重要な遺跡です。この遺跡は、三雲南小路遺跡や平原遺跡とともに、伊都国の王たちの墓と考えられています。遺跡からは大型の甕棺が出土し、その中には銅鏡や鉄製武器、ガラス製の装身具など、多数の副葬品が発見されています。これらの出土品は、当時の王の権威や交流の広がりを示す貴重な資料です。現在、遺跡周辺には案内板が設置され、訪問者は遺跡の歴史や発掘の経緯を学ぶことができます。また、近隣の伊都国歴史博物館では、井原鑓溝遺跡からの出土品を含む多くの展示があり、弥生時代の文化や生活を深く知ることができます。遺跡周辺は静かで落ち着いた環境が広がり、歴史散策や考古学に興味のある方にとって最適なスポットです。訪問の際は、ぜひ博物館と併せて見学し、古代のロマンに思いを馳せてみてください。