大きな鐘の隣で紅葉を満喫。
観世音寺 五重塔心礎の特徴
大きな鐘が存在感を放つ観世音寺の魅力です。
五重塔心礎は、歴史を感じる荘厳な佇まいです。
太宰府市の静かな環境に包まれる貴重な場所です。
大きな鐘の隣にあります。
境内に紅葉が残る時期の拝観となりました。陽がすっかり西に傾き、アッと言う間に辺りが冷気に包まれる夕暮れ時、観光客は誰もおらず、急ぎ足で境内を見て回り、五重塔が建って姿を想像し、その時代に思いを馳せるには、丁度良い雰囲気でした。国宝の梵鐘が吊るされている鐘楼の前に、巨大な心礎(しんそ)と呼ばれる石があります。これは、かつて東面する金堂と向き合うように西面して立っていた五重塔の中心の柱(心柱)を支えていた「心礎」と呼ばれる礎石で、その巨大さには驚かされ当時の五重塔の壮大さが偲ばれます。心礎の巨石の他に地覆石(じふくいし=建物の出入口や基壇の下部に据えられた石)が残っていました。(2015/12/08)【観世音寺について】観世音寺は、斉明天皇七年(661)に朝倉橘広庭宮で急逝した斉明天皇の追福のため、息子である天智天皇によって発願されたことがわかる。しかし、発願から建立までには、実に八十年以上の時間を費やしており、実際に伽藍の造営が完了したのは天平十八年(746)でした。さらに天平宝字五年(761)には、西海道諸国の僧尼に戒律を授ける戒壇が設置された。東大寺、下野薬師寺とともに天下の三戒壇の一つとなった観世音寺は、名実ともに、西海道随一の権威を誇る府の大寺となった。しかし観世音寺はその後の幾度もの火災による焼失や、様々な災難によって創建時の伽藍は全て失われ、現在は日本最古と言われる梵鐘と、江戸の初期に再建された講堂と戒壇を残すのみである。観世音寺が所蔵する古い絵図に描かれる伽藍配置は、東に五重塔、西に東面する金堂、中央北の講堂に中門から伸びる回廊がとりついている。そして、その背後に大房を配している。古い絵図には戒壇院は描かれておらず廻廊の外側の寺院であったろうと推察される。観世音寺伽藍の大きな特徴は、金堂が東を向いている点で、この正面に講堂、東に塔、西に東面する金堂という伽藍配置を“観世音式”と呼ぶ事がある。飛鳥・川原寺、近江崇福寺、陸奥多賀城廃寺などはこの伽藍配置であり、斉明天皇に所縁のある寺院や朝廷が関与した国家的な寺院にこの配置が用いられているとがわかる。僧が宿泊する僧坊の長さから往時の研修僧が多かったことを偲ばせる。一時は廃絶状態にあった寺院を甦らせたのは、黒田藩によるところが大きく、代々の藩主と博多の豪商天王寺屋等の支援を受け伽藍の整備が行われ復興を遂げました。講堂は観世音寺の本堂に当たる伽藍で、創建時は現在の二倍以上の広さを持つ巨大な建物でした。当初は戒壇を持つ寺院として、「八相兼学(はっしゅうけんがく)の寺」と称されていましたが、明治以降に天台宗の寺になったようです。「観世音寺」の由来として、観世音菩薩を本尊としていたであろう、寧ろ「観音信仰の寺」といった方が現代では通りも良く、参拝者で賑わうように思える。
| 名前 |
観世音寺 五重塔心礎 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.1 |
| 住所 |
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2015/3/28来訪。森の中にぽつんと・・。