カッパ伝説と厄徐の碑、夏の緑に包まれて。
カッパの刀伝説の特徴
カッパ伝説の神秘を肌で感じられる場所です。
厄徐の碑があることで歴史的な意義が魅力的です。
糸島市の文化を体験できる貴重な史跡です。
夏はだいぶ草が繁茂しています。説明板でも少しふれられていますが、諸熊家にかかわる後日談が本に載っています。以下、『糸島伝説集(改訂版)』(糸島新聞社、2021)から引用です。---p.224〜22767 河童の刀――夢に出てきた河童の願い[略]甚作の孫の重太郎は、大入塩田の拡張を図っており、塩田の釜石を唐津の唐房(現在の佐賀県唐津市唐房)に求めに行ったのだが、その時護身用に帯刀してきた河童の刀を一時、同地の酢屋の熊太郎宅の神棚に預けらていた。それを迂闊[うかつ]にも帰りに忘れてきてしまった。すると、その夜半から激しい家鳴[やな]りが起こり、どうしても安眠できない。はては置き忘れてきた河童の刀の祟りに違いないと思い、すぐに船で唐津に向かい、夜通し漕いで大切な刀を持ち帰ってきた。そして、いつも安置している神棚に納めたところ、案の定、先ほどまで続いていた家鳴りは嘘のように消えて、家人はやっと安眠できたのである。また昭和7年(1932)2月、大入で大火が起こったとき、猛火は折からの強い西風と吹雪にあおられ、あわや諸熊家も類焼するかと思われた。同家ではもう手の付けようもなく、真っ先に持ち出していた河童の刀に向かい、ただ一心に、「どうぞ、わが家に火が付きませぬように」と、その霊験を祈り続けた。そのうち神刀の力か、それまでの西風が東風に変わり、壁一重まで迫っていた大火から類焼を免れたのである。14軒が被災した大火から守られたのはまさに奇跡であった。さらに同年4月のことである。重太郎親子は3人が家業の漁で沖に出ているうち、春の濃霧と突風のために3人の命は船もろとも流浪に任せねばならぬ危機となった。船を泊めるため碇[いかり]を下ろすが、荒波にもまれて碇は浮き上がってしまい効果はなく、海上をさまようこと数時間、沖へ沖へと流され転覆の恐れも出て来たが、重太郎たちはなすすべもなかった。重太郎はただただ神刀河童の霊験を信じ救助を祈り続けた。留守宅でも、この大時化でわが家の船が流されていることを知り、やはり河童の神刀に灯明を上げ、一心にお救いを願っていたのである。そのうち、浮流していた碇が「かなぎ瀬」という岩礁に引っ掛かり、やっと船の流れが止まった。ちょうど運よく避難中の汽船に発見され、九死に一生を得たのであった。こうして、諸熊家の河童の刀はさらに大切に祀られたそうだ。正夢といい、霊験あらたかさといい、何とも不思議な河童の刀である。[略]
カッパ伝説と有り難い厄徐の碑がありました。お賽銭もなく自然のパワーだけ頂けるとはありがたいの一方通行ですね。
文字どおりの石碑があるのみ。特に神聖な場所といった雰囲気もなく、茂みにひっそりと祭られているだけ。
| 名前 |
カッパの刀伝説 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.2 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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道は、細い!石碑は、小さくて小綺麗でした。初めて知ったので、有るかどうか?心配でしたがありました。大入の防波堤に行く手前の大きな、建物の前の奥にありました。