長宗我部一族のお墓へ、歴史散策の旅。
長宗我部一族之墓の特徴
岡豊山周辺には長宗我部一族の歴史が息づいている墓所があります。
玄陽院や瑞応寺、東谷庵などの寺院跡が点在しています。
民家横の路地を進むと、静かな歴史の一端に触れられます。
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民家横の路地を奥へ。解説板の所に五輪塔群。その上段に1つだけ墓がある。馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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| 名前 |
長宗我部一族之墓 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
|
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長宗我部一族のお墓は、岡豊山から西や北におりる一帯には、玄陽院、瑞応寺、東谷庵などの寺院跡があり、長宗我部氏代々の墓所が残っています。二十数基の墓は、ごく粗末なもので、長宗我部氏の歴史を物語るにはあまりにも貧弱なものと言えると思います。上段には、国親または信親と言われる墓碑があり、下段には、累代の墓が立っています。ちなみに元親は、長浜にある天甫寺山(てんぽじやま)にあり長男の信親の墓は、長浜の雪蹊寺境内に、次男の親和の墓は、累代の墓の東方五十mの所にあります。三男の親忠の墓は、土佐山田町神通寺にあり、四男盛親は、大阪夏の陣に出陣、捕らえられ、京都六条河原で斬られ、今は京都五条寺町で眠っています。岡豊山の麓に葬られているのは、元親の父親の国親までの代です。