旧東海道、歴史の旅へ。
伊勢国 一の鳥居の特徴
伊勢国の入り口となる鳥居で感動の瞬間を味わえます。
長良川と揖斐川の渡し舟が旅の魅力を引き立てます。
美しい街の雰囲気がバイクツーリングを楽しませてくれます。
熱田から桑名までの海上が東海道であった頃、江戸から伊勢に向かう人のための鳥居だったそうです。今は堤防ができて、景色も当時とはずいぶん変わってしまったそうですが、ノスタルジックな気分になれる場所です。
札幌からのお伊勢参りで「七里の渡」のいわれ東海道唯一の海路で距離が七里あり伊勢国の東の入口にあるここへ寄りました。松の木と鳥居が趣きがある鳥居です。蟠龍櫓は、東海道を行き交う人々が必ず目にする桑名のシンボル。歌川広重の有名な浮世絵「東海道五十三次」も中で見ることができます。ゲリラ豪雨の前だったので雲行きが怪しい写真になってます。
旧東海道、伊勢国桑名と、尾張の宮宿(熱田宿)の間は木曽川が道を阻んでいたので、東海道は船で行き来していました。ここは、桑名側の船着場跡です。江戸時代には川に橋はなく、東海道を旅する人は川を渡るのに苦労しました。天候により川を渡ることが出来ず待たされることもあったそうです。桑名から熱田までは、何本もの川があったので、この七里の渡しはとても便利だったはずです。東海道42番目の宿場・桑名宿は、とても栄え、今でも当時の面影を感じられます。東京(江戸)からやってきて船を降り、亀山で京都に向かう東海道と伊勢神宮に向かう伊勢道が分岐します。七里の渡しは、伊勢参りの重要な道筋でもありました。
東海道沿い、高級料理旅館船津屋東に建立されていて、鳥居、鳥居廻りととても綺麗に維持・管理されています。又、常夜燈も建立されています。※資料を引用しご紹介します。七里の渡し跡に鳥居が建てられたのは、天明年間(1781~1789年)と考えられています。鳥居は桑名の商人の矢田甚右衛門と大塚与五郎が発起人となり、関東地方を廻って寄付を集めて建立されました。当初は東海道を跨(また)ぐように、道路上に建っていたと伝わっています。これは、東国から来た旅人にとって、七里の渡しから桑名に着くと、この鳥居をくぐって伊勢国に入る、東の玄関口にあたるからです。伊勢国一の鳥居は、20年に一度の式年遷宮毎に建て替えられる伊勢神宮宇治橋外側の大鳥居を貰い受けて建て替えられます。この宇治橋外側の大鳥居は外宮正殿の棟持柱として用いられていた御用材で由緒あるものです。と、なっています。
2023.12.3 さわやかウォーキングのコースとして訪問です。旧東海通の伊勢湾を渡り、伊勢国の入口にあります。ここから、真っ直ぐの道が続きます。
旧東海道、伊勢国桑名と、尾張の宮宿(熱田宿)の間は木曽川が道を阻んでいたので、東海道は船で行き来していました。ここは、桑名側の船着場跡です。江戸時代には川に橋はなく、東海道を旅する人は川を渡るのに苦労しました。天候により川を渡ることが出来ず待たされることもあったそうです。桑名から熱田までは、何本もの川があったので、この七里の渡しはとても便利だったはずです。東海道42番目の宿場・桑名宿は、とても栄え、今でも当時の面影を感じられます。東京(江戸)からやってきて船を降り、亀山で京都に向かう東海道と伊勢神宮に向かう伊勢道が分岐します。七里の渡しは、伊勢参りの重要な道筋でもありました。
旧東海道における伊勢の国の入口。七里の渡しの桑名側にある。
石灯籠や松など趣きがありますが、水門と堤防で川はほとんど見えません。
蒲郡から熱田宮宿より海上七里これより先は伊勢国ブラタモリトレースツアーをお考えの皆さんこちらから伊勢神宮まで徒歩で向かうのであればGoogleマップにて「旧東海道」「伊勢街道」検索ですべて教えてくれます!日永追分にも投稿しておきました暇なら見てね♡
| 名前 |
伊勢国 一の鳥居 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
桑名宗社にお参りした後、見に行きました。木製の立派な⛩️でした。そこには鳥居しかないです。近くに大きな公園などあり、散策には良い所です。