曲輪の歴史、城ヶ峯探訪。
和佐山城跡の特徴
和佐山城跡の城ケ峯は標高255.2mの山として知られています。
紀の川SAから見える山塊が、和佐山城跡を印象づけています。
藪の中に隠れた三角点の存在が探検心を掻き立てます。
わさやま城。登り口から舗装された林道の登りが中山妙覚(近くは上の宮)手前までそれからは尾根沿い進むと城ケ峯、主郭。藪化した主郭から南へ堀切、曲輪あります。登り口(高積神社下の宮)から城ケ峯まで約40分でした。
紀の川SAから見える山塊がそれと思います。山上の神社の一丁を過ぎた先に小社のある平地が、神社と城跡との分岐になります。南進すると城域に至ります。本丸北側に石垣があり、周囲が土塁に囲われ急斜面になっています。本丸頂上部は完全に藪化しており三角点がわずかに覗くのみです。南側に行くと堀切あり南側の曲輪に続くようです。ただ藪化しており断念しました。
和佐山城跡城跡は和歌山城よりも東にある標高255.2m(比高225m)の城ヶ峯にあります。登山口は西麓の高積神社下ノ宮脇から高積山の社殿まで整備された参道があり途中の分岐で城ヶ峰へ向かいます。徒歩約30分で主郭です。城跡は整備されておらずほとんどが藪に覆われておりますが、主郭から南に向けての曲輪や主郭部周辺には石積みが残ります。【歴史】延文年間(1356年〜)紀伊国守護畠山義深によって築城。南北朝時代、紀伊国は南朝方に属する武将が多く、北朝方の畠山氏を敵視して紀伊各地で戦いを繰り広げ、守護として落ち着くことはなかったという。築城後に龍門山に布陣した南朝方の四条隆俊(隆資の子、中納言)方に対し、畠山氏は和佐山に布陣して戦いを有利に展開させて南朝方を敗走させている(龍門山の戦い)。天正13年(1585年)羽柴秀吉の紀州征伐でも使用されたとされています。【アクセス】高積神社下ノ宮脇に駐車ができます。#お城 #城 #城跡 #山城 #和歌山県#和歌山市 #和佐山城 #高積神社。
| 名前 |
和佐山城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
曲輪にある城ケ峯の三角点は藪の中です。高積神社境内の説明板には、南北朝時代の古戦場であると書かれてました。