江戸見坂で平和を祈る。
中国同盟会発祥の地碑の特徴
孫文を総理とする歴史的な石碑がある場所です。
江戸見坂を上った高台に位置しています。
日曜日の静けさが感じられるジョギングに最適なエリアです。
孫文を総理とする中国同盟会がこの地で結成されたことを示す石碑です。この中国同盟会が母体となり辛亥革命へと繋がっていきました。そう考えると、歴史的に重要な場所ですが、ひっそりと。という表現が相応しい趣の石碑です。江戸見坂と呼ばれる、昔は江戸の街並みを見渡せた場所に石碑はあります。
ホテルオークラの裏にありました、江戸見坂を登ったところです。
江戸見坂を上った高台に、「中国同盟会発祥の地」と刻まれた石碑が建っています。説明板に、「1905年8月20日、大倉喜八郎邸すなわち現ホテルオークラにおいて、孫文を総理とする中国同盟会が結成された。その後、中国同盟会が母体となった辛亥革命により、1912年、中華民国が誕生した。・・・・」、とあります。「中国同盟会」は、清を打倒し、フランスやアメリカのような共和制を確立することを目的とする同盟で、それまで別々に活動していた興中会、華興会、光復会等の各団体を団結させました。孫文が中心的な役割を果たし、日本留学中の中国人も参画し、日本人も多数が関与しました。同盟結成してから7年後の1912年に中華民国が誕生。皇帝が支配する清から共和制の中華民国への変遷の契機となった中国同盟結成が、東京で日本人が協力してなされたこと、あまり知られていないように思います。共和制の中華民国は、その後、共産党が支配する中華人民共和国に入れ替わりました。中国大陸を中華民国がもし支配し続けていたら、孫文と日本人の関係を物語るストーリーが書物や映画で紹介され、多くの日本人の記憶に残ったであろうと想像されます。台湾の方々が日本に親近感を抱かれるのは、我々以上に歴史を学び記憶されているのが理由なのかも知れません。
心一つ美徳フォロースルー(原文)一心一德貫徹始終。
日曜日のコノ辺は静かで人混みも無いのでジョギングに最適、昨年リニューアルオープンをしたオークラさんの江戸見坂をフーフーしながら...あれ?、なんだろう...「中国同盟発祥の地」という石像発見!1905年8月20日大倉喜八郎邸すなわち此地、現ホテルオークラにおいて、孫文を総理とする中国同盟会が結成された。その後、中国同盟会が母体となった辛亥革命により、1912年、アジア史上初の共和国家、中華民国が誕生した。その意義を称え、同時に末永い日中友好を期して記念碑を建立する。一九零五年八月二十日,中國同盟會以孫中山為總理在此地,即存在於大倉東京飯店原 址的大倉喜八郎的私宅宣告成立。其後,由中國同盟會發起的辛亥革命在中國成功,於是 中華民國做為亞洲歷史上第一個共和國家誕生了。為留下紀念,並祝願目中兩國世世代代 友好,特立此碑。気になったんで帰ってから検索...日本で発足した中国同盟会が、清朝を打倒した大きなウネリの中心だったんですネェ~...1905(明治38)年、当時大倉喜八郎邸だったこの場所で、中国革命勢力各派の100人以上が集結し、政治結社「中国同盟会」が結成された。リーダー孫文を総理に選出、「革命勢力は中国同盟会として大同団結した。孫文総理万歳」。3時間超にわたった結成大会で孫文を総理に選び、後に「三民主義」と呼ばれる綱領を採択。その後辛亥革命によって清朝が討伐、中華民国が建国されることとなる...。宮崎滔天氏、日本映画事業の先駆者である梅屋庄吉氏など多くの日本人達が孫文氏を支えていたのは歴史が証明している。ちなみにコノ地は梅屋氏が当時借りていた場所。中国同盟会発足した場所は長い間特定されなかったそうで、史実を研究・発掘した日本女子大学名誉教授の久保田文次氏で 「中国同盟会がこの地で結成された事実を示す記念碑を建ててほしい」とオークラ側に働きかけて実現したそうだ。ただし、目立つ式典もなく、ひそやかな除幕だったようである。中華民国の成立、そして内乱で敗れて台湾で亡命政権。中華人民共和国の建国で「二つの中国」...その発端となった中国同盟会結成...最近はあまりヨロシクないといわれている日中関係ですが、あ、台湾にはホントお世話になって良い関係だと思われるのですが、みんなで協調しあえると良いですネェ~(^_-)-☆
| 名前 |
中国同盟会発祥の地碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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在下是一定要来看看孙文总理的希望中日永久和平平和を祈ります。