心休まるおしょうけんのひととき。
お松見(伊奈城主本多家墓所)の特徴
住宅の少ない静かな近所に位置する史跡です。
丁寧に手入れされた伊奈本多家墓所が見どころです。
周囲の田んぼに囲まれた心安らぐ場所です。
ここお松見(おしょうけん)には、伊奈本多家の第6代城主忠俊とその妻、忠俊の嫡子光忠とその妻、第7代城主忠次の計5名の4基の墓碑があります。光忠、忠次は兄弟ですが、病気がちの兄に代わり家督を継ぎました。忠次には子がおらず、酒井忠次の次男を養子に迎えることになります。それが本多康俊です。康俊が8代城主の時に下総国小篠に移封になり、伊奈城は廃城になります。その後、関ヶ原の戦いの戦功で西尾城2万石に転封されました。これに同行した忠次は西尾で亡くなったと言われていています。忠次が伊奈城最後の城主であるとともに、伊奈本多家最後の血統でもありました。忠次の戒名が「寂照院殿超誉岌信松見大居士」です。その「松見大居士」から「お松見」となった推測できます。4カ所に分かれて墓碑があります。病弱の兄、子ができなかった弟。本多家の墓所であった舞々辻とは別の場所で弔われる親子。そんなことを考えさせられ、悲しみを想う場所なのかもしれません。(2025/05/13)
落ち着き心休まる場所です。
「おしょうけん」と読む。伊奈城主本多家の墓所で、第6代城主忠俊とその妻、忠俊の嫡子光忠とその妻、第7代城主忠次の計5名の4基の墓碑がある。伊奈本多家の墓所は舞々辻にもあったが、このお松見が現存する唯一のもの。(初代から五代までの墓は 東漸寺 にあるが、これは再建されたもの)本多家の墓所は初代から五代までが東漸寺に、六代ら七代までがお松見にある。平成9年(1997年)3月 3日市指定史跡◆参考初代:本多定忠 二代:定助 三代:正時 四代:正助 五代:正忠 六代:忠俊 七代:忠次 八代:康俊。
住宅や田んぼの少ない静かな近所。(原文)Bairro tranquilo com poucas casas e com plantações de arroz .
伊奈本多家墓所。伊奈城主六代本多忠俊、七代忠次ら五名の墓碑があります。
| 名前 |
お松見(伊奈城主本多家墓所) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP |
https://www.mito.or.jp/mito-intro/toyokawahistory/3center-west/4-3-12 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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1529年、松平清康(家康の祖父)が東三河へ侵攻。当時伊奈城主の本多正忠は、姻戚関係にあった牧野氏ではなく清康方につき、夜襲で吉田城東門を破って松平軍を城内へ導きました。吉田城は落城し、その後、清康は田原城へ進軍した。伊奈本多は150年間に渡り廃城になるまでその役割を果たした。この地方では吉田城の方が有名であるが伊奈城の方が上であったと思われる。