歴史を感じる上ノ郷城。
上ノ郷城跡の特徴
神社の大鳥居から近く、アクセスがわかりやすい場所です。
鵜殿氏の歴史を感じられる、立派な城郭の遺構です。
みかん畑に囲まれた静かな場所で、観光に最適です。
自然の要害を活かした良い城。見晴らしも良い。城を落とされた相手は若き日の家康なので、相手が悪かったか。色々想像を巡らされる史跡だった。
上ノ郷城は、三河国の海沿いに築かれた平山城で、戦国時代には今川氏の家臣・鵜殿氏の拠点として機能し、蒲郡一帯を支配しました。桶狭間の戦い後に今川氏が衰退する中、1562年に徳川家康(当時松平元康)が甲賀衆を用いて火攻めし、落城させたことで知られます。その際、城主・鵜殿長照は討死、遺児は捕らえられ、家康の人質とされていた家族との交換材料となりました。後に久松俊勝・松平康元、池田輝政が城主を務め、江戸初期に廃城。現在はミカン畑として利用される中に、空堀・土塁・井戸跡などが点在し、城跡碑が建てられています。
▼徳川家康が、桶狭間合戦後に岡崎で独立後、織田信長と同盟を結びたいが、最大の課題、今川氏の駿府で人質となっている瀬名姫(築山御前)と竹千代(後の信康)をどうやって取り戻すのかの鍵となったお城です。▼つまり、この城を守る鵜殿長照の奥方は、今川家当主である氏真の叔母であることから、上之郷城にいる氏真の叔母を奪取し、今川氏真のもとに要る瀬名姫・竹千代との人質交換をするという作戦を家康は建てるのです。▼この時活躍するのが服部半蔵正成率いる忍者部隊です。彼らは火計を使い、上手に上記作戦を完遂するのですね。
上之郷城は戦国時代、鵜殿氏の居城でした。当時、今川方の有力武将として上之郷城を中心にこのあたりを収めていました。ところが1562年2月に三河統一を目指す徳川家康によって落城させられ城主であった鵜殿長照も亡くなりました。その後、久松俊勝が再建しましたが、1590年、家康の関東移封により久松氏も関東へ移ったため、廃城になったと言うことです。今も、当時の面影を残すように、城跡からは蒲郡市内を一望できます。土塁や城郭も残っていて、あの頃と同じ光が差し、風が囁いていました。
ちょっとわかりにくいですが、神社の大鳥居から直ぐです。土塁や郭が残っています。見晴らしはいいです。
近くの神社から見えますが、城跡まで行けるかは、分りません^^;
鵜殿氏の城。2郭は高い土塁に囲まれており、その上に城址碑が立っています。その北には主郭がありますが私が訪れた時には荒れ放題でした。
待望の御城印販売されました。
土塁、東郭、主郭どこも綺麗に整備されていて気持ちよく見学ができました。地元の方、愛する会の皆さんの努力に頭が下がります。道中のみかん畑も癒やされますよ!駐車場は赤日子神社西側にあります。
| 名前 |
上ノ郷城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~17:00 |
| HP |
https://www.city.gamagori.lg.jp/site/museum/kaminogo-index.html |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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ここは、登城路もキレイに整備されていて、所々に案内板も設置されていて、何の苦も無く、本丸まで登城することができました。蒲郡市の上ノ郷城跡を愛する会に感謝感激でしたwww