中津城跡の魅力、金谷口を散策!
中津城 金谷口の特徴
JRのガード近くからアクセスしやすい立地の城口です。
中津市新魚町に位置する歴史ある場所としての魅力があります。
立派な地名を持つ中津城の一端に触れることができます。
JRのガード近くにある城口。広場が隣接してます。
立派な地名。なんでも、細川忠興が築城の際、金屏風を立て本営にしたとか。
中津城は、九州では珍しい総構えの城郭で、土塁が現存している貴重な城跡です。部分的ではありますが、金谷口から自性寺にかけて、外堀の土塁が確認出来ます。他にも三ノ丁と鷹匠町にも土塁が現存しています。
| 名前 |
中津城 金谷口 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.2 |
| 住所 |
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金谷口(かなやぐち)は、城下町の外囲い(惣構・そうがまえ)に設けられた主要な出入り口(番所・木戸)の一つです。城郭・城下町の南西方面にあたり、金谷(かなや)地区や山国川上流・耶馬渓(やばけい)、英彦山(ひこさん)方面へと続く街道の玄関口として機能していました。主な役割と歴史的背景内陸部・霊場への交通の要衝: 耶馬渓方面や修験道の聖地である英彦山参詣へと向かう街道が交差する拠点であり、商人や参詣者、近隣の農民が日常的に往来する活気ある出入り口でした。惣構(総構え)の南西防御ライン: 城下町全体を取り囲んでいた土居(土塁)や掘の南西部に位置し、城下への外敵の侵入を食い止める第一線の防衛施設でした。番所による検問と治安維持: 門の傍らには番所が置かれて常駐の番人が監視を行っており、城下に入る人物の検問や物資の確認、夜間の閉門(治安警備)が行われていました。構造と防衛の工夫見通しを遮る屈曲(クランク構造): 敵が一気に城下へ侵入するのを防ぎ、かつ城内を見通させないよう、門の前後で道路が直角近くに折れ曲がる構造が採られていました。土居との一体化: 周囲の土塁(土居)と一体になって城下を区切っており、有事の際にはここを閉鎖することで城下町全体を要塞化できるよう作られていました。現在の様子現在は木造の門や番所そのものは失われていますが、中津市金谷地区の旧街道沿いに史跡を示す案内板などが設置されています。周辺の変形交差点や曲がりくねった道路のラインに、かつて惣構の出入り口が存在した当時の面影を留めています。