寺町から犀川へ続く秘密のつばや坂。
つばや坂の特徴
寺町から犀川へ続く秘密の階段が魅力的です。
昔の風情を残す階段が特徴の抜け道です。
隠れたスポットを探す楽しさが感じられます。
寺町から犀川へ抜ける秘密?でもない坂。ひんやりとした静かな場所です。
昔のままの階段の抜け道。つばや坂という名前は「つば甚」との関連でしょうか?W坂は最近すっかりきれいに整備されちゃったけど、昔のW坂はこのつばや坂みたいな風情でしたよ。
| 名前 |
つばや坂 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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つばや坂(つばやざか)は金沢市の清川町にある小さな石段の坂道だ。公式の看板や目立つ表示は一切なく、ひっそりとした風情のある佇まいだが、地元の人間にはよく知られている。坂を上りきった先に、金沢最古の老舗料亭『つば甚(つばじん)』があるため、この坂道もその名を取って「つばや坂」と呼ばれている。「つばや坂」という名前は、金沢の坂を研究した郷土史家・国本昭二氏の著書『サカロジー 金沢の坂』で紹介されてから広まったもので、比較的新しい通称だ。もともとは「甚兵衛坂」という別名もあったが、これは料亭つば甚の創業者である鍔屋甚兵衛(つばや じんべえ)から来ている。つば甚は宝暦2年(1752年)創業。前田家のお抱え鍔師(つばし)だった鍔屋家の三代目・甚兵衛が刀の鍔作りの傍ら始めた茶屋が起源とされる。もともと甚兵衛は仲間内に料理を振る舞うのが好きだったらしく、評判が広がり、いつの間にか藩主にも知られるようになって正式に料理屋となった。このエピソード自体、いかにも金沢らしくて面白い。江戸時代、現在の坂上に位置する寺町台地には数多くの寺院が建てられた。これは加賀藩三代藩主・前田利常が1616年頃、一向一揆など宗教的な反乱を防ぐ目的で城下に散らばっていた寺院を集約したのが始まりだ。そのため、つばや坂は寺町の寺院街と城下の町人地を繋ぐ、重要な生活道でもあった。現在の「清川町」は昭和39年(1964年)、かつての桜畠十番丁などの一部が再編され誕生した比較的新しい町名だ。だが地名の由来となった「清らかな川」こと犀川は昔から変わらず流れており、この川を見下ろすように坂が位置している。坂を歩くと気づくのが、途中でくの字に折れ曲がった独特の構造だ。長さは約90メートルほどで、段数は多すぎず少なすぎず。坂道としては適度な急勾配で、上りきった後に見える景色もなかなかいい。坂下から振り返ると犀川と新桜橋が目に入り、金沢らしい風景が広がっている。つばや坂にはユニークな逸話も残っている。昭和後期、坂上のつば甚と坂下にあった宴会場センチュリープラザ(現在の専門学校の位置)との間に秘密の渡り廊下が設けられていたのだ。当時、宴会場を行き来する人々が「地下道で移動した」と錯覚したため「つば甚には秘密の地下通路がある」との噂が広まったという。実際は坂の高低差を利用した建物間の渡り廊下だったが、それがかえって面白く語り継がれている。つば甚の歴史は豊富で、料亭には伊藤博文や芥川龍之介ら多くの著名人が訪れたという逸話が伝わっている。ただこれらは料亭側の説明であり、史料的に確証された話ではない。とはいえ、明治から大正・昭和にかけて、政財界や文壇の重要人物たちが頻繁に出入りしていたのは事実であり、その歴史の重みが坂にも影響を与えているように感じられる。また坂上の寺町寺院群は、2012年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、歴史的景観がよく保存されている。その中には天然記念物にも指定される松月寺(しょうげつじ)のエドヒガンザクラや、忍者寺として有名な妙立寺(みょうりゅうじ)など、魅力的な史跡が多く点在している。坂を中心に、文学碑や歴史的建物が散策路としてつながっているのも魅力だ。坂下には寺町とはまた違う魅力の町家や石造りの蔵が残り、料亭文化や花街の風情を味わえる「にし茶屋街」にも徒歩圏内だ。つばや坂は単なる石段ではなく、金沢の古き良き風景を凝縮して味わえる贅沢な空間と言える。つばや坂を歩くと、ふと刀鍔を作りながら客人をもてなした江戸時代の職人や、寺町寺院群を往来する城下町の人々の姿を思い浮かべてしまう。この坂に立つだけで、金沢という町が培ってきた独特な文化や歴史の奥深さを実感できる。坂の途中で一度立ち止まり、ゆっくりと周囲の風情を楽しむことをお勧めしたい。