"清々しい風と小川神社の静けさ"
延喜式内小川神社の特徴
小川神社では御柱大祭が近づくと賑やかで楽しい雰囲気が漂います。
清々しい風と清らかな水に包まれた静かな神社です。
戸倉神社史跡からのアクセスも良好で、散策にぴったりの場所です。
PCゲーム「夏空のペルセウス」聖地です。
小川神社(おがわじんじゃ)。長野県上水内郡小川村大字小根山。式内社(小)論社、旧郷社。主祭神:正殿:健御名方命相殿:大己貴命 言代主命資料によると、創祀年代は不祥。社伝によると、祭神・健御名方命が出雲での武甕槌命との戦いに敗れ、母神・沼河比売命の郷里・糸魚川を経て信濃を開拓。母神への往来(糸魚川街道)の要衝である当地に村民が、その徳を慕って奉斎したという。継体天皇の皇子・兎王の後裔、酒人公は、天武天皇十三年(684)冬十月、眞人の姓を賜い、その一族が当地に来て、布留山(古山、当社背後の山)に居を定めた。清和天皇の頃、この地を小川の荘と称したので、酒人小川眞人と称して、当社を篤く崇敬した。後、小川氏となり、小川左衛門貞綱の頃大いに栄え、大社となった。式内社・小川神社に比定されている古社。瀬戸川の同名社を奥宮、当社を里宮と考えられるが、現在、それぞれの小川神社は独立した神社となっている。明治六年村社に列し、大正九年郷社に昇格した。とあります。
小川神社(おがわじんじゃ)主祭神:健御名方命(たけみなかたのみこと)配祠:大巳貴命(おおなむちのみこと)(父神)、事代主命(ことしろぬしのみこと)(兄神)摂社:御射山神社、张栄神社 金山社末社:八幡宮由緒:当社の史料初見は、延喜式神名帳に濃国四十八社中小川神社とあり、創建創祀は西暦九百年代に遡る。社伝旧記は、明和年中(1770年頃)社殿流失、昭和の年社家の火災によりお文書焼失し、詳細不詳であるが、口伝伝承によれば出雲國譲りの後、建御名方命が諏訪湖に向う道程中、当地に留された故事に依り社を創建したと伝う。当地方の開祖は、第二十六代継体天皇の後裔小川真人と伝わることから、地名の由縁とされる。真人後橋等は、社に家祖継体天皇(男大道玉)を合祀して、諏訪大明神と称し近郷住民の尊崇を集めた。平安時代より、荘園小川庄として各々の家門に属し文安年中まで経営され、南北朝の乱に連座敗退した三河の小河氏は、当地に配流され古山城を根拠に勢力を保った。天文年間に至り小河氏は、村上氏の意に服さず、牧之島城主香坂氏の猶子小笠原長利に討伐され、長利は戦功により古山城主となり、以後大日方長利と称す。甲州越後両雄、川中島決戦の際、大日方一党は武田軍旗下として決起し、現鎮座地大宮に祈願所を設け、戦勝を祈願して出陣した。後に現在地を下社、宮平を上社と尊崇されるも、明治の御代に宮平上社の地に学校が建設される事と成り、上社を合祀して現在地の小川神社に至り、北信地方最大規模の御柱大祭を開催する神社として、内外に衛神徳を煮められている。御本殿:享保十四年造営で村指定文化財である。幣殿・拝殿:昭和三十一年新築造営された。年間祭礼行事祈年祭 五月三日 例大祭 十月第一土曜日 新嘗祭十一月二十二日弥栄神社祇園祭 七月第一土曜日遷御•同第二土曜日還御御射山祭(八月二十六一二十七日夏越大祓六月下旬年越大祓十二月中旬元旦祭・正月元日歳旦祭十二月晦日式年例大祭(御柱大祭)每寅,申年五月三日~五日平成二十七年小川村教育委員会奉賛者 東京信根子会以上、案内板より💁♀️
立派な社殿が建っているが人気は無し。
清国の公人が書いた扁額がある。揮毫の年号に光緒を使っている。拝殿彫刻に力士を象ったものがある。
清国の公人が書いた扁額がある。揮毫の年号に光緒を使っている。拝殿彫刻に力士を象ったものがある。
御柱が建立されていた。
戸倉神社史跡の帰りに寄らせて頂きました。境内は綺麗に整備されていました。
清々しい風と清らかな水があります。
| 名前 |
延喜式内小川神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 6:00~18:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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