圧巻の歴史を感じる高山寺。
臨済宗 日照山高山寺の特徴
山里の静かな環境に囲まれた、氷室岳の美しいお寺です。
歴史上重要な寺院であり、訪れる価値があります。
普通の田舎の寺ながら、独特の魅力を持っているのが特徴です。
いつ訪問しても立派で圧巻なお寺です。
臨済宗高山寺に所蔵されている達磨大師座像と、大権修利菩薩像は、主として、曹洞宗寺院内や、臨済宗寺院内の伽藍神として、祀られている具体的な作例であります。
日照山高山寺は元応2年(1320)に創建されたお寺です。御園生翁甫の大内氏研究によれば、当時寺のあった伊陸村は大内氏の所領であった日積村(現在の光市)に近く、一族の肥前守が治めていたと言われています。南北朝時代の末期、京都に幕府を開いた足利尊氏・直義の兄弟は平和を祈願し、戦死者を弔うため、全国66カ国2島に寺と仏塔を建て、貞和元年(1345)に光厳上皇の院宣よって、寺は安国寺、塔は利生と名付けられたそうです。一休さんのいたお寺としても有名な安国寺はこのように全国に作られました。しかし、実際に作ったわけではなく多くの場合、既存の寺を安国寺に指定しました。周防の安国寺もこのような状況の中、高山寺が指定されたのです(ただし、日本仏教史辞典によれば、本当に高山寺が安国寺に指定されていたかどうかの確証はない)。建前上は戦死者の弔いと平和の祈願を目的としていましたが、実際の所は幕府の支配を全国に張り巡らすための前線基地、もしくは情報機関としての役割も担っていました。知っての通り、中世の寺は広い領地を有しており、村や軍隊を保有することも珍しくはありませんでした。室町時代を通して周防国を支配した大内氏も高山寺を利用して幕府との連絡や土地の支配などを進めてきました。高山寺が歴史的に大きな役割を果たすのは室町時代の末期、つまり戦国時代です。天文24年(1955)、厳島の戦いで防長を実質的に支配していた陶晴賢を倒した毛利元就率いる毛利氏は、大内氏の本拠地である防長の侵略を開始しました。その際毛利氏の毛利隆元(元就の後継ぎ)は、高山寺の住持となった策雲玄龍に大内氏の内情や周防国の統治のやり方について助言を求めたそうです。現在は当時の遺構などほとんど残ってはいませんし、本堂も建て替えられていますが、静かで良いところです。行くまでの道が少し狭いので、車で行くときは注意しましょう。
氷室岳に登りました。車を置かせていただきました。氷室林道を歩くコースです。途中の木々、草花、景色をめでながらゆっくり登りました。約2時間かかって頂上到着。最高のお弁当タイムです。
とても素敵な、お寺です。
山里の静かな山寺歴史上重要なお寺。
普通に田舎の寺ですね。
| 名前 |
臨済宗 日照山高山寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0820-26-0483 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
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まだ、未訪問ですが、このお寺は父方の先祖に由来するお寺の可能性があります。父は松山の宇和島市で生まれ育ち先の戦争では空軍で隼に機上していました。宇和島での菩提寺は金剛寺でこの地に来る前は柳井の高山寺だと言うことを聞いています。同じ臨済宗のお寺でもあり是非、訪れたいお寺です。