かつての信濃川を感じる。
初代萬代橋橋銘板の特徴
明治19年に架橋された歴史的な親柱が魅力です。
かつての渡し船需要を支えた日本一長い木の橋です。
初代萬代橋跡はアパホテルの前に位置しています。
2018.11.30もともとここに橋があったということは当時から川の流れが変わったと言うことか・・・
交差点にひっそりある記念碑。初代の萬代橋に関わる記念碑です。近代工学の生みの親と言われる、古市公威さんが設計された橋は多くの新潟人を助けました。昼間は車の往来が激しくて気づきにくいけど、夜に通りかかった時に存在に気づきました。見えてるのに見えてないものって結構あるんだなと思います。
普通に歩いていて気が付きました!歴史のある橋でした!
新潟駅前大通りから萬代橋へ向かう手前の五差路の脇に存在感があまりなくありますね。付近の歩道橋からは駅前大通りを一望できます。
昔はここから橋が架かっていたと…広い川だったんですね。昔の木造のめっちゃ長い萬代橋も見てみたかったです。
初代と2代目萬代橋の東の始まりはこちらの親柱の地点からでした。ですので、こちらから現在の3代目萬代橋東詰までは川の中だったということなのです。現在も川幅が広いですが、それにも増して広かったのですね。
明治19(1886)年に萬代橋(よろずよばし)が架橋されたときの親柱。現在は3代目万代橋(ばんだいばし)で昭和4(1929)年竣工。 (再)
アパホテルの前です。
現在の萬代橋は、3代目に出来た橋で、初代・2代目は現在より2.5倍ほど長く、この流作場五差路あたりが橋の始まりだった総長782m、当時は日本一長い木の橋だったかつての信濃川下流域の川幅は、現在の約3倍700mほどあり、日本海側の旧新潟町とこの五差路あたりの旧沼垂町を結ぶのは渡し船だけだった渡し船では、洪水や風雪による欠航や転覆事故も多く不便だった明治初期の政府は財源がなく、治水整備を進めるため個人等による架橋に要した工事費の料金徴収を認めていた各地で架けられた橋で通行者に通行料を課す事業が始まった信濃川下流域においても、架橋を求める声は多かったが、治水計画が進まず先延ばしにされた明治17年(1884)信濃川改修計画の決定を受けて、翌18年に新潟日日新聞の内山信太郎が、第四国立銀行の八木朋直を出資者として架橋を出願、許可がおりて着工する明治19年に民間所有の有料橋として完成、この橋がよろず代まで新潟の発展に尽くすことを願い、萬代橋(よろずよばし )と命名された明治33年に県が買い取り、無料橋となるが、明治41年に新潟大火により初代は半分以上焼け落ちてしまうその頃の萬代橋は、すでに多くの人馬車の通行があり、交通上重要な橋であったため、県は直ちに再建に着手、翌42年には2代目が完成した大正11年の大河津分水路通水を期にした改修で、信濃川の川幅は1/3に縮小されたそれにより永久橋としての架け替えが実現可能となり、昭和2年に着工、昭和4年に現在の3代目が完成した。
| 名前 |
初代萬代橋橋銘板 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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萬代橋?川の面影ゼロだけれどここ川だったの??調べてみると* ここにはもともと**初代〜旧萬代橋(木橋や鉄橋)**がかかっていた* 今のコンクリートの萬代橋(国の重要文化財)は1929年(昭和4年)完成の3代目* 写真の柱や案内板は、その昔の橋の姿や場所を伝えるための記念・解説なるほど。