江戸氏の菩提寺、歴史感じる浄土宗。
慶元寺の特徴
1186年創建の歴史ある浄土宗の寺院です。
浅草の江戸氏の菩提寺として名高い古刹です。
美しい石畳の参道や大きな銀杏が魅力的です。
浄土宗の寺院で江戸氏の菩提寺です。石畳参道を進んで山門抜けると左に鐘楼堂が正面に本堂右にある墓地の中に三重搭が有ります表にある欅の大木が世田谷区の名木百選に指定去れてます保育園の右に参拝客用の駐車場が有ります。
境内入口から西に向かって林の中を伸びる石畳参道を進むと、宝暦9年(1755)建立された立派な山門があり、山門をくぐった先に享保元年(1716)再建の本堂を擁する伝統的な浄土宗の寺院である慶元寺。文治2年(1186)、江戸太郎重長が今の皇居紅葉山付近に天台宗の寺院として創設したのが始まりで、室町時代の中頃、江戸氏の住居が喜多見に移ったことに伴って現在地に移設され、天台宗から浄土宗に改められた歴史があります。歴史の長い寺院でも、昔の建物が残されている例は東京地区では多くありませんが、慶元寺には江戸中期に建造された本堂、山門、そして鐘楼が残されており、大変貴重と思います。墓地の奥には、平成3年の建造ですが、見事な木造の三重塔があります。徳川3代将軍家光から家茂までの9通の朱印状が保存されている慶元寺、格式の高い寺院です。
木々に囲まれた参道が素敵なお寺です。墓地内には立派な三重塔がありました。
まっすぐな参道が美しい寺院。入り口から山門までずっと立ち並ぶ杉の木の背の高さが歴史深いことを物語っています。慶元寺は、文治2年(1186年)に江戸太郎重長(山門近くに銅像がある)により江戸城(現:皇居)付近にて天台宗の寺院として創建されたが、その後、江戸氏は没落。太田道灌に江戸城を明け渡し支配拠点を喜多見に移転。それに伴い寺院も応仁2年(1468年)に喜多見の地に移転。天文19年(1540年)に浄土宗に改宗。現在の本堂は、1716年建立。美しく掃き清められた境内には清浄な空気が流れています。屋根の上で跳ね飛ぶ飾り瓦の狛犬くんたちの可愛さ。ずれ萌え。
幼稚園の真後ろにありました。撮影地としても有名だそうです。参道に設置されている灯籠のデザインが少しずつ違います。特に、干支が掘られている灯籠が素敵でした🌟
2020年10月3日訪問小田急線喜多見駅から少し探しますがギリギリ世田谷区、狛江市手前説明文を見ると文治2年(1186)江戸太郎重長が現在の皇居紅葉山付近に江戸氏の氏寺として当時は天台宗東福寺室町時代中頃江戸氏の木田見移転に伴い天文9年(1540)浄土宗慶元寺に改称更に文禄2年(1593)江戸氏改め喜多見氏初代若狭守勝忠再建寛永13年(1636)徳川三代将軍家光から寺禄10石の御朱印地賜り現本堂は享保元年(1716)再建、もっと細かく書かれていますが写真参照23区内に藩が有ったのと江戸重長最初から源頼朝の味方ではなく後から帰参しその際義経記等によると坂東八ヶ国の大福長者として釣船等かき集め浮橋を作って頼朝の軍勢を渡らしめたとなっていますが寺内に木像が有るらしいですが見る事が出来るのは銅像と後世の江戸氏之墓供養塔で本堂・鐘楼・三重塔等御寺自体も諸施設が充実していますが別に秩父市にも江戸太郎の墓として後世の五輪塔が有ります。他のクチコミによると境内でウルトラセブンやケンちゃんシリーズの撮影も行われたとか。
鎌倉幕府樹立に尽力した江戸氏の祖先が建立したいと言われる古刹。とても静かで落ち着きます。
紅葉で有名な喜多見の慶元寺に行ってきました境内には大きな銀杏の木モミジは、本堂の左の方で色鮮やかに輝いていました喜多見駅近くには、同じような名前の「慶岸寺」がありまから、お間違えのないようにちなみに宗派は同じ浄土宗ですそれと、墓地の方にはとても立派な三重の塔がそびえたっています見応えありますから、是非近くに行って見上げてみて下さい。
訪れる価値あり。
| 名前 |
慶元寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
03-3416-1221 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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お寺自体は境内が広くて気持ちが良いです隣の会館はバリアフリーのトイレもあり鍵のかかるロッカーもあり使いやすいですただ喜多見駅、成城学園前駅からはどちらも遠いです喜多見駅からGoogleマップで行ったら一般は利用できない裏門から入るような案内をされて逆に遠回りになりました氷川神社の前に細い道があるのでそこを進んで墓地の手前で右に曲がると横から入れました。