松山城で語り継ぐ久松の功績。
伯爵久松定謨頌徳碑の特徴
伯爵久松定謨が寄贈した歴史的な石彫の碑である。
松山城に関連し、旧松屋藩主家の功績を称えている。
陸軍中将としても知られる伯爵を讃えた意義深い場所。
2018/04/08来訪。石碑のすぐそばに木製の立て札があり解説が書かれています。詳しくはそちらを読んでください。裏面を確認すると何か分かるかもしれません。
1923年に松山城を旧松山藩主の子孫にあたる久松 定謨(ひさまつ さだこと)伯爵が松山市に寄贈したことを記念して建立されました。
旧松屋藩主家の当主で政府から城山等の縁故払い下げを受け、維持金を添えて松山市に寄付した功績を讃える石碑だそうです。
陸軍中将、歩兵第1旅団長を歴任されました。
| 名前 |
伯爵久松定謨頌徳碑 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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伯爵久松定謨頌徳碑伯爵久松定謨頌徳碑は、松山城本丸に建つ顕彰碑で、旧松山藩主・久松家第15代当主 久松定謨(1867〜1943) の功績を後世へ伝えるため、1955年(昭和30年)に建立されました。碑の題字は徳川宗家第17代当主・徳川家正による揮毫で、旧大名家のつながりを今に伝える格式ある記念碑です。碑文はまず、松山城の歴史を振り返ります。松山城は1602年(慶長7年)、加藤嘉明によって築かれ、その後1635年(寛永12年)に久松定行が松山藩主となって以来、約230年にわたり久松家が藩政を担いました。治世は安定し、多くの優れた人材を輩出するなど、松山の発展の礎を築いたことが記されています。明治維新後、多くの城が廃城となる中、松山城も国の管理下に置かれました。しかし、久松定謨は郷土の象徴である城を未来へ残そうと決意し、多額の私財を投じて城山一帯の払い下げを受け、さらに維持費を添えて1923年(大正12年)に松山市へ寄贈しました。これにより松山城は「松山公園」として市民に開放され、今日まで保存される礎が築かれました。現存十二天守の一つである松山城を誰もが楽しめるのは、定謨の英断があったからこそといわれています。碑文の終盤では、「勝山の松は青々と茂り、石手川の流れは絶えることなく続く。その景色とともに久松定謨の徳を永くたたえよう」という趣旨が格調高い漢文調で刻まれています。「石を建て、その功績を永遠に伝える」と結ばれる文章には、城を守り抜いた人物への深い敬意が込められています。天守や石垣に目を奪われがちな松山城ですが、この頌徳碑は「城を築いた人ではなく、城を未来へ残した人」を顕彰する記念碑です。もし久松定謨の決断がなければ、松山城は今日の姿で残らなかったかもしれません。城郭を巡る際は、この碑の前に立ち、松山城が400年以上の歴史を経て受け継がれてきた背景にも思いを巡らせてみてください。