伊予市の鎌倉神社で歴史に触れる。
鎌倉神社の特徴
源頼朝の異母弟・源範頼を祀る神社です。
範頼の墓がある歴史深い場所です。
伊予市のバイクツーリングスポットとして人気です。
少し寂しい神社でした。
源頼朝の異母弟である源範頼を祀った神社で、範頼の墓があります。範頼は平氏を異母弟義経と共に滅ぼし、鎌倉幕府開設に大役を果たしました。しかし、その後頼朝に謀反の疑いを掛けられ、伊豆に流されその地で死亡したとされていますが、当地でなくなったとの伝承もあります。 また叔父に当たる源為朝は保元の乱に敗れ、伊豆大島に流された後、そこで死亡したとされていますが、東温市滑川の光明寺に墓があります。当時の伊予の国は瀬戸内海の水軍を支配下に置いていたことより、水軍が伊豆から当地に源為朝や範頼を助け出した可能性もあります。何にせよ太古のロマンを感じさせます。お社は静寂に包まれ、悠久の時を感じさせます。
| 名前 |
鎌倉神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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「伊予市:鎌倉神社」2025年6月のバイクツーリングで立ち寄りました。源範頼をまつる神社です。地域の人たちは「鎌倉さん」と呼んでいるそうです。この社の後ろに範頼の墓といわれる苔むした小さな墓があります。さらに近くに家来たちの墓といわれるものが、枯葉の中に埋もれておよそ20ぐらい立っています。源範頼は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の弟です。源平の合戦では、弟の義経とともに、平家を壇の浦で亡ぼして大きな手柄を立てましたが、やがて、兄の頼朝に疎まれて伊豆に流され、梶原景時に不意打ちされました。とっさのことで、範頼は鎧・冑をつけるひまがない。そばにあった弓をとり、戦いましたが、もうこれまでと思った範頼は、やかたに火を放ち、その中で死んだといわれています。範頼の墓は、伊豆の修善寺にもありますが、そのほかに、武蔵(横浜市)、金沢の大寧寺と、伊予市の上吾川の三か所にあって、それぞれ言い伝えが残っています。この地方では、頼朝の家来に攻められた範頼は、ひそかに難をのがれて四国に渡り、源氏とゆかりの深い伊予の豪族、河野氏を頼って、この地に落ちのび、ここで亡くなったと伝わっています。古い墓の前には、江戸時代に建てられた「蒲冠者範頼公墓」という大きな石碑があります。ちなみに蒲冠者というのは、蒲とは範頼が生まれた土地の名前、冠者とは一人前の武士の事であって、範頼の別の呼び名です。社の前庭には、明治時代の大文学者、夏目漱石が、ここを訪れて詠んだ俳句の句碑が立っていて、はかない死を遂げた範頼のことを思い起こさせます。蒲殿のいよいよ悲し枯尾花木枯や冠者の墓撲つ松落葉。