由緒正しき周敷神社で神社巡り。
周敷神社の特徴
由緒正しき神社で、歴史を感じる参拝がオススメです。
神社めぐりのプロも推薦する、この地域で一番古い社です。
豊かな歴史を持つ周敷神社で、心を静める時間をお過ごしください。
由緒正しき神社です。
神社めぐりのプロの方のブログ予め読んでいたので、より理解出来た、と思います。延喜式24社めぐりはまりまくってます。
式内社。コンクリート製の拝殿は少し違和感があるが、本殿は元禄五年の築。切妻、流造。飾り物に蚕蛾が見え、養蚕が盛んだったとわかります。門も古びた立派なもの。近隣の式内社である布都神社や佐々木神社と違って神主さんが常駐するようで、清められた感じがします。鳥居脇のお宅で御朱印がいただけます。
この一帯で 一番古い神社の様で有ります…。詳しくは周布公民館(地区)生涯学習推進委員会の解説板が境内にいくつか有りましたので 撮影しておきました…。最近の西条市設置板もあります。漏らさずご覧下さい…。この一帯…周敷郡と呼ばれていた時代も有った様です。(710~794奈良時代の様です…。)室町時代(西暦1300年代)は周布郡…と…。とにかく古〜い神社です。いえ想いを 馳せたりはするんですよ…。西暦3ケタ代のこの辺りの 景色風景を…。すごかったんでしょうね、。水郷の里でもありますし…。 まぁ ほぼ 清流ですしね。流れている川の水も…… まぁゴクゴク飲めた!…。田舎…の割に 神社仏閣の多い様に思うのです…。此の辺り。西暦500とか 700代… タイムマシンでも有れば 思わず 行ってみたい気になって仕方がないので有ります…。残念な点が わずか一つだけ…。境内が広大過ぎて 森林部がフェンスで仕切られ立ち入りできなくなっています…。小学校も至近距離に有り 安全面を考慮されておられるのかも知れません。かつては西条藩の6社の一つに数えられた神社…。本来なら 石鎚神社級の 格付けになるのかもとも 思いつつ 神社をあとにしました…。本日は…。原住民なので また出直します。因みに宮司さんのお住まいは境内に有ります。西条市周布1533となっておりました。機会あれば…お伺い致したく…。
| 名前 |
周敷神社 |
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| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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周敷神社(すふじんじゃ)。愛媛県西条市周布。式内社(小)、旧県社。【祭神】火明命 (配祀)大山祇命 大己貴命【関係氏族】多治比連(たじひのむらじ)資料によると、奈良時代の天平宝字8年(764年)、多治比連真国ら10人に周敷連の姓が賜わり、ついで真国ら21人に周敷伊佐世利宿禰の姓が賜われる。この一族が先祖の神を氏神として祀ったのが当社だとされる。主祭神は火明命、配神は大山祇命・大己貴命。神主の伊佐芹家は、周敷伊佐世利宿禰に連なるものだとされる。古代の郡家も、周敷駅も、この付近にあったと考えられる。一帯は湧泉が多く、早くから稲作が行われ、周敷郡の政治産業の中心として栄えていたようだ。平安時代の仁寿元年(851年)正月に正六位上に、南北朝時代の永徳元年(1381年)2月に正四位上に叙されるが、天正13年(1585年)の兵火で社記・宝物などが全焼したので、詳細は不詳。江戸時代になり、寛文10年(1670年)、西条藩松平家初代藩主松平頼純が入国の際、当社が周敷郡の鎮座で、桑村郡ではないことから、延喜式内社なのかどうか、疑義が生じた。元禄8年(1695年)と宝永2年(1705年)など何度か調査されたが、確認できなかったという。なお、元禄5年(1692年)、現存の本殿が建立され、現在では市指定文化財になっている。享保5年(1720年)、国安の周敷神社、宮内の宮内神社、円海寺の保内八幡宮などが式内社「周敷神社」であると主張し、論争となったが、享保7年(1722年)には一応当社に比定された。式内比定を待つように、享保7年に藩の祈願所六社の一つに加えられ、藩主の代参、神田の寄進があった。明治5年(1872年)5月に郷社に列し、明治14年(1881年)3月には県社に昇格した。もとは萬代講、永代講があったが中止されている。例祭は10月15日・16日。社宝には、延喜式弁疑、松平頼安の寄進状、一柳直卿の社号、掛軸などがある。なお、式内社「周敷神社」の論社は他に、国安の周敷神社・藤原神社合殿、円海寺の保内八幡神社の境内社、宮ノ内の宮内神社がある。とあります。