浅利氏史跡で歴史を探訪!
十狐城の特徴
浅利氏史跡としての歴史的価値が高いお城です。
大館城の後に立ち寄る観光スポットとして人気です。
静かで落ち着いた雰囲気の中で見学できる場所です。
浅利氏史跡。2023年9月26日来訪。甲斐国を本貫とする浅利氏は、1189年の奥羽合戦で、比内地方の地頭職となり、この地方での支配を広めたが、室町期は東の南部氏、更に西から台頭した安東氏の脅威に晒されていた。諸説あるようであるが、1518年頃、甲斐本流の浅利則頼が明利又に入部し、その後十狐城を築いて独鈷を拠点とした。則頼は智勇文武音曲に秀でた人物で、大館各地に家臣を配置して、土地を切り開き、「前田」と呼ばれる広大な田園を作り、周辺の国人を従え、浅利氏を比内における一大勢力にした。一方で、浅利則頼は、南部氏との戦いで荒廃した、十狐城の側の大日堂を再建し、浅利氏の氏神とした。また、十狐城の完成を祝い、則頼自ら剣を持って舞った剣囃子が、独鈷囃子の始まりとされ、市指定無形民俗文化財に指定され、則頼の事績がこの地に現在も息づいている。当時の本通りは、十狐城の北側を走っていたようであるが、現在は南側から城域に入る事ができ、土塁や空堀等が残っている。
2020年11月15日に見学しました。鎌倉時代から室町時代にかけて、浅利氏の居城であったと言われています。阿仁の明利又城は、この独鈷城の出城だと言われていますが、どちらが先に本拠地になっていたのかは、いまだに判然としません。米倉の跡やたくさんの郭が連なって存在していた形跡が分かります。
| 名前 |
十狐城 |
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| ジャンル |
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| HP |
https://common3.pref.akita.lg.jp/heritage-map/ruins/detail.html?ruins_id=795 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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2024/5/3大館城の後に訪れた。大日神社付近に駐車スペースがあり、そこから入った。登りどころか降りていったような。米蔵跡の切岸、下の堀が残る。主郭はヤブが多いが、ヤブのない箇所を通っていくと、背後の湿地帯が見える。