格式ある櫛玉比賣命神社。
櫛玉比賣命神社の特徴
御祭神の天道日女命を祀る神社で、由緒ある歴史を感じられます。
櫛玉比賣命神社は式内社として地域の信仰を集めています。
国津比古命神社と同一敷地にあり、巡る際はぜひ寄り道を。
すっきりとした空気の感じられる神社でした。真っ直ぐ続く参道も素敵です。
國津比古命神社の参拝後、向かい側にある階段を上がって参拝して来ました🎵参道の塀が氏子さん等の御奉賛で造られていて、その中を通って行く感覚が独特でした‼️中は開いてませんでしたが、ガラス越しに覗かせて頂いた感じでは🏮提灯🏮が横並びで、整然とした中に、格式の高さも感じとれました‼️
Shrine in the same grounds as my last post. Has a rather more feminine feel to it compared to its neighbour and isn't quite as old. The person who lives at the bottom wrote this and the other shrine's goshuin for me.前回のアップしたポストと同じ敷地内にある神社。 隣と比べて女性らしい雰囲気があり、それほど古くない。 これと他の神社の御朱印は一番下に住んでいる人が書いてくれた。
奥宮的な雰囲気の社。
国津神社に隣接する神社です。階段を上がると狭い境内に出ます。
小職の人生の転換期を良い方向に導いてくださった思い出の神社ですだけどまだまだ人生は長いもんなーこれからもよろしく見守ってください。
御祭神 天道日女命相殿 御炊屋姫命由緒書によると、天道日女命は国津比古命神社の御祭神、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊の后神となっています。相殿としてお祀りされています、御炊屋姫命も長脛彦の妹で饒速日尊の后神です。
ここも、国津比古命神社と同じ敷地内で、いつも、行く時は、お詣りしています。
周辺を巡る際には立ち寄るべき。
| 名前 |
櫛玉比賣命神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
089-992-1515 |
| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
櫛玉比売命神社(くしだまのひめのみことのじんじゃ)。愛媛県松山市高田。式内社(小)、旧郷社。【祭神】天道姫命 (配祀)御炊屋姫命【祭祀対象】風早氏(物部氏後裔)・越智氏・河野氏資料によると、第15代応神天皇の時代、物部阿佐利が国造に任命され、その祖神である櫛玉饒速日尊と、その饒速日尊の子である宇摩志麻治命を奉斎。これが当社に隣接する国津比古命神社の創祀である。物部阿佐利は、『古事記』に第10代崇神天皇の条に登場する、伊香色男命の四世孫(『古事記』該当部分)。その際、櫛玉饒速日尊の妃神である天道姫命と御炊屋姫命を奉斎したのが、当社の始まり。『日本文徳天皇実録』斉衡元年(854年)3月壬辰条に、伊予国の櫛玉姫神が従五位下の神階に叙せられたことがみえる。祓座大明神と称された。国津比古命神社とは夫婦一対の関係ながら、メインは国津比古命神社。しかし当社は、国津比古命神社に参拝するよりも先に参拝し、当社でお祓いを行うことが例となっていた。現在の北条北中学校南側の市道と一致する勅使道が、宗昌寺門前まで通じており、まず風早土手浜から上陸した勅使が、最初に妃神たる当社を参詣した。江戸時代の寛永年間(1624年-1645年)、官命により、南方の小山の頂より現在地に遷座。現在は、夫・国津比古命神社と向かい合う形で鎮座する。延宝9年(1681年)の扁額が残り、抜入桝大明神とも称されたが、享保年間(1716年-1736年)、現社名に復称した。古来より、物部氏・風速氏・越智氏など代々その氏神として崇敬された。明治29年(1896年)に郷社に列した。社殿は古墳を一部削平して建立されている。いわゆる櫛玉比売命神社古墳である。墳丘全長75m、後円部径42m、前方部幅39mの前方後円墳。4世紀後半の築造とされており、創祀者の物部阿佐利か、それに類する有力者の墓の可能性がある。国津比古命神社も別の古墳の上に社殿が建立されているという。拝殿の西側には素盞鳴命を祀る素鵞社が、古墳の後円部の北側にあたる、参道の途中左側には和霊神社がある。なお、大和国には高市郡に櫛玉命神社、広瀬郡に櫛玉比女命神社があり、国津比古命神社と当社ほど関連は指摘されないが、似ている部分がある。とあります。