鋳銭司跡で歴史を感じる。
周防鋳銭司跡の特徴
積水ハウス山口工場の南側にある国指定史跡です。
現在は何もない草っぱらが広がっています。
途方もなく広い地帯に歴史を感じます。
積水ハウス山口工場(住まいの夢工場)の南側の広大な地帯が国史蹟の「鋳銭司跡」であることに初めて気付きました。頻繁に国道2号を往き来しているのに・・・。令和2年(2020年)10時28日付「朝日」新聞によると、ここで、平安初期の銅銭「承和昌宝」の鋳造に失敗した「鋳損じ銭」が発見されました。承和昌宝の鋳損じ銭が出土したのは全国初とのことです。周防鋳銭司では「和同開珎」など皇朝十二銭と呼ばれる12種類のうち、8種類が造られていたとされています。山口市教委によると、承和昌宝は835年から848年に鋳造されていました。続日本後記に周防鋳銭司で造られていたと記述があったが、これまで見つかっていませんでした。今回の鋳損じ銭は、山口市と山口大学による共同の発掘調査で、平成30年度(2018年度)に採取した土から見つかりました。「鋳バリ」と呼ばれる鋳型からはみ出た部分が削られず残されたままになっていたとして、市教委が鋳損じ銭と判断しました。(以上、記事抜粋)この史跡で、継続的に発掘調査などをされていることを初めて承知しました。地道な調査で明らかになる事もあるのでしょう。私の興味は南北朝及び近・現代史に特化しておりますが、郷土の古代史上の発見はやはり嬉しいです。次は承和昌宝の完成品やその他の珍しい物などが発見されることを期待しております。
鋳銭司とは、奈良・平安時代に国の銭貨を造っていた役所のことです。天長2年(825年)から約150年間、ここ周防鋳銭司でのみ国家の銭貨を鋳造していました。周防鋳銭司で初めて造った銭貨は「富寿神宝」という銅銭で、その後7種類の銅銭が造られました。鋳銭司は全国に数ヶ所ありましたが、地名として残っているのは山口市鋳銭司だけです。現在、跡地(空地)があるだけで、看板や説明書きなどなにもありません。発掘作業は行われているようですが。
第9次発掘調査中で現地説明会が令和6年10月13日午前10時から11時30分。
説明板も何もありません 近くに水没目安看板あったので、60センチは水没する地域のようです。
途方もなく広い。
現在は、何もない草っぱらです。
| 名前 |
周防鋳銭司跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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説明看板があります。当時から貨幣の鋳造はこのような広大な敷地面積が必要だったことを実感でき、書籍などの情報では知りえない規模感を知ることができます。ただ、駐車場所がなく(道路沿いに駐車場はあるが、全て積水の敷地になります)、積水の工場を出入りするトラックが多数往来するため、自家用車や貸切バスで目の前まで行くと、降りて見ることはできません。要注意です。